明治学院大学での「言語表現法講義」という授業の講義録。

 話し言葉での先生と学生とのやり取り、
 教材に使った先生お気に入りの文章(プリントして生徒に渡す)
 課題として学生が書いてきた文章

で構成されています。

Know-How本ではない。
細かな文法解説や文章添削は一切なし。
読んですぐに文が書ける、うまくなるわけではない。
「文章を書く」とはどういうことかを考えさせられる。

「『文章』を書くこと、『ことば』をつむぐこと、『ことば』を用いて、行った事のない、
見たことのない世界までたどり着くこと。
そのために必要なものは、みんな、最初から、学生諸君(やあなたたち、そして、わたし)
の中に存在している。それに気づくためには、耳を済ませればいいのである」
(「あとがき」より)

「1日しか記憶がもたないとしたら、と言う仮定の下で、1日分の日記を書いてくる」
と言う課題で書かれた学生の文章がすばらしい。



自分が学生のころ、英語供壁修!)の担当教官が
ちょっと変わった人だったことを思い出しました。
「一切英語の話はしない。英語と関係がない(少なくとも我々にはそう思えた)
意味不明の課題ばかりを出し、それが出来たらその後の出席はしなくても単位はやる」
という授業でした(確か、銀座中村屋のカレーがどうとか)。

常識人の自分はもうひとつの課題、
救済措置のレポートか何かをこつこつやって単位をもらったと思います。

多分教官には教官なりの、「その時期に学生が学ばねばならぬ事」
があり、それを伝えたかったのだろうと思いますが、残念なことに
私と、私と同程度の友人たちには伝わらなかったみたいです。



高橋先生の授業は「言語表現法講義」
というタイトルとの合致については(やはり)少々疑問ですが、
「もっと大事なこと」が良く伝わる、
面白い講義だったのではないでしょうか。