私、今ちゃんとお別れしてから、
7年くらいブログ書いてるんですけど、
結構長い間、社会人生活から離れてるんですよね。
いや、子育てして、それなりの社会生活は送ってるんですけれども。
この度、仕事に復帰することにしていましてね
(保育園が受かるかどうかが大事ですけれども)
それに伴って、「ゆったりとした母子の時間」を手放すことになるんですよね。
これ、多分私の幼い頃からの希求だったのだと思う。
くっついて、そばにいてくれて。
よんちゃんが昼寝してるそばでね、のんびり内省してるんですけれども。本当にこれが幸せでね。
母へ言いたかったこと
言えなかったこと、上書きしていた言葉
もし恐れなく伝えるなら、、、
というのを書き出していて色々と書いていたのだけれども
私がした間違い全部それで良かったっていって。気にしてないよっていって。幼い子ども心から求めたことでもそれで良かったよって。お母さんはきずついてないよ、あなたの未来のためになっているよって言って。確認できたら
そしたら自信が持てるとおもうの
って
そんな言葉が出てきた。
ここまでわかってやっと勇気が湧いてきたのかもしれない。
この時間が、人生のなかで本当に必要だった。
今ちゃんの死産をしなければ、
多分私は子どもを持てたとしても、すごい勢いで仕事復帰して、
浮かんでくる考えを振り払いながら
身を削って働くことを善とする生き方を続けていたかもしれない。
もしくは、どこかでそれに疲れて、プツッと切って逆を全振りして
その、エネルギーの借金や反動の影響を受けながら
生きていたかもしれない。
そう思うと、全て、初めから決まっていた物語のように
繋がってくる。
過去全部、間違いじゃないんだよって。
間違いとか正解とかないんだって頭で思っていても、心の隅に残ったこの言葉のこの概念、この仕組みから
抜け出すためにね。
また一歩。小さい一歩一歩。
この先がまだあるのかも、しれないけど。
この時間が必要だったということだけは、
確実にいえるな。