愉快な家族笑い


きのうから実家のいわきに滞在中トロピカルカクテル


今朝、中1の娘が、

「ママ〜、喉がめっちゃ痛くて熱がある〜泣くうさぎ

って起きてきて、明らかに、あ、そのようだと思えるご様子ゲロー


「疲れが出たんじゃない?浄化浄化〜キラキラ」(母)

「水飲める〜?え、水も痛いのか〜重症だね〜」(母)

「おばあちゃんがおはぎ作ってくれたんだって〜デレデレ食べる?」(母)


我ながら、思い返してみて、自分が病人だったらきっと、もっと大事にしてよ?と思うだろう声掛けである(笑)

娘はめげずに、「無理…チーン。」と繰り返してましたけどね(笑)


とりあえず、病人らしく和室で布団敷いて横になっていると、

すかさず元気な奴らが、

「なんか踊ろうよ?」

と始まり、ブルんバンバンボンからの〜本気のソーラン節エンドレス。体育教師の妹プラスついていける体育会系姉弟すげ~‼️に滝汗

その隣で、すやすや(熱にうなされていても)眠れる中1娘はもっとすごいㇲ。ニヤニヤ


けっして病人扱いしない我が家のスタイル(笑)


「海に行くけど、行かない〜?ですよねニヤニヤ(一応聞いてみた)」

「久石譲のDVDでも観てゆっくりしてて♪じゃね〜バイバイ

うるさい人たちは一時退散し、中1娘は静けさの中、身を休めることに集中できることでしょう合格



 


今日も変わらず美しい


絵に描いたような光景を、遠くから見ていました。


この平和な眺めが、

いつまで続くかは誰にもわからないです。


でも、

いま私の中にこの情景が幸せな景色として刻まれていること、

故郷が見せてくれている(わたしが見ている)世界がここに在るということ、

そして、それを子どもたちや、ブログを目にしてくれた方に見てもらえて、心に残せたこと。


そこに感謝がありますキラキラ

ぜんぜんうまく伝えられないですが、

ありがたいな〜と、浜辺で胸がいっぱいでした。


今日も、美しい世界を映してくれて幸せ。


 




わたしの生まれた家


わたしの生まれた家、父方祖母の家は、わたしが産まれた年に建てられた家で、

今も、健在の祖母が一人暮らしをして守ってくれていますクローバー


今年2月に祖父が亡くなり、農業一筋で築いてきた土地や家を、今までと同じように独りで維持をするのは大変なことだろうと察しますが、

祖母は、わたしが思うよりずっと強く逞しく毎日を生きていました。

それを、久々の帰省でまざまざと感じ

祖母の偉大さに深く感服したのでした。


祖母はこう言いました、

「いままでは、じいちゃんに聞けばなんでも教えてもらえたけど、今はなんでも自分で考えて判断してやらないといけないから。じいちゃん居なくて悲しんでるんじゃなくて、前を向いてどんどんやっていかなっきゃと思って、ばあちゃんは生きているわけ。」




実は祖母に会う前に、先祖の墓参りをして来た際、

線香を立てて手を合わせて、じいちゃんに「ただいま」と伝えたら感じた声があったことを思い出した。


「じいちゃん、そろそろ行くかんな〜バイバイ

って。


それは、お盆にお墓から自宅に帰るという意味ではなく、

そろそろ上に戻るという意味だと、わたしは理解しました。


「うん、わかっている、こちらのことは大丈夫、心配しないで、ありがとう」

そう伝え、お墓をあとにしました。


もしかしたら

ばあちゃんもきっと、それを感じながら、じいちゃんの存在を頼りに、己を律し、奮い立たせながら、毎日を維持してきたのだろうと思います。


なんか、いままでとは違う目ヂカラの強さを感じたんですよね目

さすが、わたしのばあちゃんだなと思いますキラキラ

90年を生きてきた人生から出るものは、違うなって、感じます。


 




はやっ!!娘の熱発スピード浄化!?ポーン


帰宅すると、

熱にうなされ中1娘は、スッキリとした顔で

お腹空いた〜と寿司を食べてました(笑)


なんか、3日くらい早送りしたみたいな回復を見せますね指差しキラキラ


体調リセットできましたねウインク

一日でその回復は普通は有り得ませんよ~



“おかげさまで生きている”

本当にそう感じますスター


すべてに感謝虹