●江戸期の「大和川付け替え工事」は、元禄17227(1704.4.1)、堺の北の海辺から始まりました。


●昭和の諸書は「215日起工・1013日竣工、期間8ヵ月」とし、それが定説となっていましたが、その起工日の裏付けは乏しいものでした。

 史料から、具体的な普請役所の開設・計画川筋の表示・川下からの水準測量開始などの一連の準備作業の日程を押さえていくと、この日が浮かび上がりました。

 水準測量を終え正式ルートと工法の確定した海辺から、姫路藩主が派遣した人々を中心に遠里小野までの10(1.1km)区間の工事が始まったのです。


●大まかな計画川筋とその起工日を記した版画も、その年3月に発行されていました。


●このところは、異論が出たことから、起工を単に2月としか記さず、8ヵ月とする出版物が散見されますが、著者は曖昧にしないで、それぞれの根拠をしっかり確認してもらいたいものです。


●「227日起工・1013日竣工、期間7ヵ月半」が史実と考えます。



              「河内堺新川絵図」に記された起工日(御鍬初)


          姫路藩主が派遣した370名を越す士を記録した文書


       

新川筋の標高を1町毎に測定した記録の冒頭部(右)と姫路藩が実際に工事を行った下流部