●今から60年前の昭和30年(1955)月15日、

玉串川下流域に当る中河内郡の玉川町・盾津(たてつ)町の2つの町と、同郡英田(あかた)村・

若江村・三野郷(みのごう)村の3つ村が合併、「河内市」が成立しました。

この時、旧三野郷村の福万寺と上之嶋は八尾市に統合されています。

 因みに、中甚兵衛生誕地の今米は旧盾津町に属していました。




 ●三日前の月12日には、市域東側の生駒山地西麓に位置する同郡の枚岡(ひらおか)・石切(いしきり)・縄手(なわて)の3町と孔舎衙(くさか)村が合併して、「枚岡市」が成立していました。

共に、昭和28年(1953)9月に国が「町村合併促進基本法」の制定に対応したものです。


●以後、昭和42(1967)年2月日に、西側の「布施(ふせ)市」(昭和12・1937年成立)と合併して「東大阪市」が誕生するまでの12年間、それぞれの歩みを続けます。


 この間、『枚岡市史』として「第一巻・本編」「第二巻・別編」「第三~四巻・史料編」が編纂されましたが、『河内市史』は実現しませんでした。現在の『東大阪市史』でも近世には及んでいません。




        

          昭和30年代の朝日新聞による「河内市」

●南の八尾市に飛び出しているのが古大和川の「玉櫛川跡。北上して近鉄奈良線花園駅付近で分岐、西側の布施市になっていて、以後境界を形成しているのが「菱江川跡」。一方は、ラグビー場に達した後北へ、大東市の飛び出しに達していたのが「吉田川跡」です。