●江戸期、新大和川が完成してひと月余りの「宝永元年(1704)甲申(きのえさる)十一月十五日」、
その普請奉行であった目付・大久保甚兵衛忠香は、二日前に褒賞を受けると共に昇進して、
この日に「大坂西町奉行」に就きました。
更に、12月11日には「従五位下」と「大隅守」の称を受けています。
●浅香山稲荷神社の石燈籠には、
「奉献/浅香山稲荷社神前 石檠(せっけい)一基/従五位下大久保大隅守忠香」
とあって、年末以降(あるいは翌年)の寄進が窺えますが、背面には寄進日ではなく冒頭の町奉行就任の日付けが刻まれていて、いささか自身の記念碑的な面もみられます。
●これには、浅香山の狐伝説があり、一説に当初の御手伝大名・姫路藩主の死も棲みかを荒らされる狐のたたりとの風評から、後の安全祈願を含めて工事後に稲荷社を整備し石燈籠などを寄進したとされています。