●新旧大和川筋各市で多くのイベントや講演会などが繰り広げられた、平成16年(2004)の「大和川付け替え300年祈念事業」。


 ●東大阪市では、11月6日、今米公園で東大阪市の「大和川付替え300年記念式典」が挙行されました。その際、園内に新しく設置された2基の顕彰板が除幕されています。

 「贈従五位中甚兵衛翁碑」の前、向かって左手の①「大和川の付替え工事」と、右手の②「中甚兵衛」です。



 ●旧今米村氏神「春日神社」の社(やしろ)跡に建つ「中甚兵衛碑」。

  建碑時にあった神社の石灯籠は撤去されましたが、狛犬が残されています。

  今回は、その左右に顕彰板が設置されました。

  尚、築山補修を含む周囲の整備は、平成3年(1991)春に完成しました。



      ①「大和川の付替え工事」                     ②「中甚兵衛」



    


 ●新しい説明板が出来たことに伴い、碑前に昭和55(1980)から設置されていた、

  「今米村の庄屋九兵衛とその子甚兵衛が中心となって、川違いの運動を続け・・・」といった、

 史料的根拠が極めて乏しい「甚兵衛の父・九兵衛」の名や行動などを記した

 旧説の顕彰板は撤去されました。


 ●また、これを機に東大阪市では、今米から吉原・箕輪地区を経て鴻池新田会所に至る

「東大阪歴史の道」(約7km)の整備の一環として、それぞれの文化財ポイント12個所に、新たな説明板13基を設置しています。

              


 ●ルート内にある、「中家屋敷跡」・「川中新田会所跡」・「西光寺」などには、設置されませんでした。


次回から、いよいよ本論に入って、先ずは、「中甚兵衛生家」に関する二つの説を紹介します。