中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 前回、「東住吉区」の「鶴ケ丘エリア」と見られる地図を掲載しました。

 西は「JR阪和線」。北は、「山阪神社」の南の「津守街道」と東の参道。東は「長居公園東筋」。

 南部の住民僅少の「長居公園」を除けば、「山坂3~5丁目」と「南田辺1~5丁目」です。


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 この地域は、「南田辺小学校々区」・「東住吉区南田辺連合振興町会区域」・「東住吉区南田辺地域活動協議会区域」などとも一致し、「南田辺まつり」や「南田辺運動会」なども開かれています。

 昭和11(1936)年の小学校誕生時の「南田辺」の名称はともかく、現在では二分する町名の一方が地域の全体名を指すのには、少し抵抗を感じています。

 勿論、運営上の問題点も住民の不満も全く耳にしませんので、私一人の想いですが…。


 そこで、私のブログだけ、勝手に名付け使用しているのが、「坂辺さかのべ)」という地域名。

 「3~5」と「南田1~5」から一字づつ採ったもので、地域を北に伸びる「我孫子丘陵」の南北・東西への緩やかながあるりのイメージを織り込んでいます。

 さしずめ、「百済(くだら)街道」の現在名は、「坂辺道さかのべのみち)」となるでしょうか。

 ただ、地域北にも「山坂」や「田辺」があることから、今のところは「南」を冠しています。

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 当地域には、「百済街道」の他にも、古代には「難波大道(なにわだいどう)」が通っていました。

 「松原新田」の開発は寛文3年(1663)。村落として人が住みついてからは350年ほどの歴史ですが、

その以前から人々が往来し、この地で糧も求めていたでしょうし、難波に宮があった1300年以上も前には、宮人も往来していたことになります。

 旧阪和線跡には、どんな形の平成の道が誕生するのでしょう。


 ところで、現在の町名の「山坂」や「南田辺」の使用は、昭和551980から。

 その以前は、昭和6(1931)年からの「山坂町」、昭和4(1929)年からの「田辺西之町・田辺本町」。

 当初は「住吉区」、昭和18(1943)年から「東住吉区」になりました。

 道路区画でなかったり、旧松原新田集落が「山坂町」であったりして、現在の区画と多少の違いはありますが、「山坂3~5丁目」は、ほぼ「山坂町3~5丁目」を、「南田辺1~5丁目」は「田辺西之町6~8丁目」と「田辺本町6~8丁目」の一部を踏襲しています。


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         < 赤い枠が現在の地域。青い線は山坂と南田辺の境界。 >


 本年に入ってからの、当地域を扱ったブログは次の通りです。

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 今日は、シリーズ「ぶらり南坂辺(みなみ・さかのべ)」で3回に分けて収めた、今に残る「旧町名表示板」をまとめて紹介します。百済街道沿い、あるいは左か右に入ってすぐの所に見られるものから始めます。







● 山坂町4丁目                      ● 山坂町5丁目


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全体 >   <上部 >    < 下部 >      < 全体 >   <上部 >    < 下部


 「山坂町四丁目」。木製。浮造(うづくり)・着色。

 下部の広告は、「駒川カクマツ屋」、現在も駒川商店街の靴屋を営業されている「カクマツ屋」さん。

 今は使われていない、「松」の字を□(四角)で囲んだマークも付されています。


 「山坂町五丁目」。木製。浮造(うづくり)・着色。

 下部の広告は、現在はない「鶴ケ丘駅前東鶴ケ丘薬局」さん。


    「ぶらり南坂辺(4)」 ⇒ http://ameblo.jp/imagome/day-20130403.html


● 田辺本町7丁目


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    < 全体 >          < 上部 >            < 下部


 「田辺本町七丁目20番地」。木製。浮造(うづくり)。

 「大阪市章」の澪つくしマーク。「東住吉局区内」の表記があります。

 下部の広告は、「山坂郵便局北ノ辻入ル・仁丹奥田?」


● 田辺西之町7丁目                      ● 田辺西之町8丁目


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 「東住吉区・田辺西之町七丁目」。鋼板製。白地。

 広告は、「仁丹」。マークが半分しか見えませんが、その下には「仁丹歯磨」のロゴ。

 「昭和26(1951)年認可」のプレートもあるようで、設置年が分かる唯一のものです。


 「東住吉区・田辺西之町八丁目六番地」。木製。平板。白下地。

 広告はありません。


  以上3点 「ぶらり南坂辺(6) ⇒ http://ameblo.jp/imagome/day-20130405.html



● 住吉区 田辺西之町7丁目


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  < 全体 >    < 住吉区 >      < 田辺西之町 >       < 七丁目


 「住吉区田辺西之町七丁目」。木製。浮造。

 今から70年前、昭和18(2043)年に「東住吉区」になる以前のものです。


    「ぶらり南坂辺(12)」 ⇒  http://ameblo.jp/imagome/day-20130417.html



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