中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 前回まで駅名の由来を探って来た「JR阪和線」の「鶴ケ丘駅」。

 地図にはありませんが、現在は地域名としても認識されています。

 そのエリア。定める必要もありませんが、少し気になるところです。


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            < 高架下の「鶴ケ丘駅」入口と住所標識など


 高架化で東住吉区から阿倍野区に移った、駅の所在地。

 その駅西側は、どの辺りまで、「鶴ケ丘」としての認識があるのでしょうか? 

 「商店会」を形成する「鶴ケ丘本通」の西への通りは、「あびこ筋」で終わっていますが…。


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                           ↑あびこ筋   


 駅から凡そ150mで到達する「あびこ筋」との間の赤い太い2本の線が本通りです。

 因みに、駅北の「長池」が旧称「池田池」。それを灌漑用水の水源としていた、西方の「猿山新田」の「集落」があったのが、あびこ筋西側のの辺りです。


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                 < 鶴ケ丘本通のあびこ筋からの入口


 「鶴ケ丘本通」の辺りは改めて見るとして、「あびこ筋」の信号を渡ってまだ続く「西田辺町2丁目」の西部で、「鶴ケ丘」の名称を冠する建物・施設がないか確認します。


 「あびこ筋」に沿うやや南に、「シャトー鶴ケ丘」というマンションがありました。


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 先の信号を渡って西に進むと、「鶴ケ丘診療所」の大きな文字が見えます。


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 次の信号、あびこ筋に沿う道路迄が「西田辺町2丁目」です。

 「鶴ケ丘駅」からは280mほどの距離になりますが、この道路は、地図には記されていませんが、地元では「庚申街道(こうしんかいどう)」と呼ばれています。

 四天王寺南大門の南方にある「庚申堂」へのお参りに使われたのでしょう。


 その先は「阪南町」で、この「庚申街道」辺りまでが、鶴ケ丘の範疇に入るのでしょうか。

 ただ、以前にわけていただいた「平成9(1997)年度版 長池連合町会区域図」には、「阪南町7丁目」に「森永鶴ケ丘住宅」が書き込まれています。

 が残念ながら、姿を消していました。次の図のの所です。

 その西側の道路で「播磨町」に変りますが、鶴ケ丘駅から550mほど離れています。



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 「阿倍野区阪南町7丁目」では他にも見つかりませんでしたが、その南の「住吉区長居1丁目」に民間と公営のものに、「鶴ケ丘」の名が付されていました。

 「万代ハイツ」と、広大な「府営鶴ケ丘住宅」です。
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 駅名由来の調査で採り上げた、「大町池」跡の一部と推定される「大阪市交通局」や、「大御池」のそれの「西長居公園」など、「長居池」があったと見られる場所のすぐ近辺です。アーケードのある「長居商店街」も近くにあります。

 因みに、「長居西2丁目」の辺りに「寺岡村」の集落がありました。

 「府営鶴ケ丘住宅」の写真は次回に掲載します。