中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大阪市阿倍野区の「鶴ケ丘本通」のツルのマーク。

 「JR阪和線 鶴ケ丘駅」を降りてすぐ、線路沿いと「あびこ通」に通じる商店会が設置しています。

 本シリーズは、周辺の地理や歴史を調べることを通じて、古(いにしえ)のこの地に、実際に飛来していたという記載を求めてきました。

 前回までに、「鶴ケ丘駅」からさほど遠く離れていないと見られる「長居池」の存在と、「長居の里」「長居の浦」が歌枕にもなり、しかも、ツルの古語「タズ・タヅ」が詠われていることに、何とか辿りつきました。


 ただ、『東成郡誌』(以下、『郡誌』と略)の記載から、その「長居池」を「大町池」(現・大阪市交通局付近)と見ていましたが、「住吉区ホームページ」に、「大御池」という名前が出てきました。その出典は記されておらず、読み方も記されていません。

 「長居村」の池を詳しく記す『郡誌』にもない池。もう少し調べてみます。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

 < アオサギなど多くの鳥が飛来する現在の長居植物園の大池


● 「長居村」の大字で、西部に位置した「寺岡」に対し、東部を占めた「」。

 現在の長居公園の大半もその領域でしたが、集落は長居公園通の南側。「住吉区長居東1丁目」に含まれますが、その地の「保利(ほり)神社」宮司が、「堀村・前堀村小史」などを収めた『保利神社今昔 下巻』を平成13(2001)年に刊行されてます。

 その前段に、明治27(1894)に依羅村の三区が統合されて長居村と名付けられたのが起りとし、


  「村名はその頃まであった大御池の別称長居池から採っている。

   大御池は周囲7町20余、広さ7万㎡余りの大きな池で、貯水池水は流出して細江川となり、

   安立町の西で十三間川に注入していた。『堀川後百首』に

    すめらぎの長居の池に水澄みて のどかに千代の影ぞ見えける  常睦   …」


とあって、『郡誌』の「寺岡」にある「大町池」とは違う、「大御池」を挙げています。

 ただ、別項では、村内には、「大町池・今池・上の池・下の池・西の池・小今池など」灌漑用の池が存在していたことが、記されています。前回見た『郡誌』が挙げる池の名と同じで、「大御池」は見えません。灌漑には利用していなかったということでしょうか。

 幸い、「明治18年 堀村・前堀村全図」があって、字名と池(名はなし)が記されていますので、池の周りの字名から両村に属する池は確定できました。




中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

      < 明治18年測量地図に、現在の阪和線・道路などの大凡の位置を重ねたもの


● 上記本には見えませんが、「保利神社ホームページ」に、「冊子から抜粋して、風光麗し長居の里の風土と歴史を紹介」するとの記事があります。

 長居村の歩みは、『日本歴史地名大系 大阪府の地名』(平凡社)の引用が主ですが、「長居の地名の由来」の項に、この地名辞典や『郡誌』に見えない「大御池」の名と位置が具体的に示されています。


  「大御池は、JR阪和線長居池から西北西300mほどの場所にあった。

   周囲7町20余り(約720m)、広さ7万㎡の池で、

   当時は貯水池として活用されていました


 怠慢で冊子の参考文献に全て目を通していないので、その出典は掴んでいませんが、地図でその辺りに池の跡かと推定される空間が一部でもないかと確かめると、「神須牟地(かみすむち)神社」の北に位置する「西長居公園」が目に入りました。「寺岡」集落のすぐ北に位置することになります。

 更に大きかったでしょうから、「大阪市交通局」付近が跡地と見られる「大町池」に極めて近い場所です。前掲地図では、「寺岡集落」の西にも細い池らしきものが残っています。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

  





               中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

                 < ↑↓ 西長居公園から見た神須牟地神社
      中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


● 上記HPは、長居の地に因んだ和歌3首を挙げたあと、次のようにも述べています。


  長居の浦や長居の潟という名があるように、大御池は細江川の入江のようになっていました。

   近くには大町池・池田池・今池・上の池もあり、このあたりは水際の景勝地であったようです。

   住吉街道を旅する人々は、のんびりとした美しい景色にしばし足をとどめては、

   いつまでも長くいたいと思ったことでしょう。

   そうした想いに因んで長居と名付けられたそうです。

   大御池には片葉の葦が茂っており、珍しいということで有名であったと伝えられています。

   今はもう池は残っていませんが、緑豊かな長居公園は市民の憩いの場として親しまれ、

   豊かな自然に恵まれたのどかな雰囲気は、今に受け継がれています。



 「入江」は、海や湖が陸地に入り組んだ所を指す言葉なので、「細江川の入江」という表現は的確ではないと思われますが、挙げている池の名から見て、寺岡の旧集落付近から、阪和線の「長居駅」や「鶴ケ丘駅」の西側、その東側の「長居公園」を含んだ広い地域に想いを馳せた文言です。


 因みに、『郡誌』の「住吉村」の章では、「長居浦」は「住吉浦」の別称として扱っていますが、「長居浦」の和歌は「長居村」の章に譲っています。

 その中に「タズ・タヅ(田鶴)」を詠ったものが何首もありますが、次回に採り上げます。

 また、ツルには関係ありませんが、上記「神須牟地神社」にも関連する、この地の更なるロマンにも触れたいと思います。

                           中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

                                     < 長居植物園大池の鯉