中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大阪市東住吉区で、全域を同じ一つの町名を名乗る、広大な「長居公園」。

 その中にある「長居スタジアム」などへの「長居公園北口」の最寄駅が、「JR阪和線 鶴ケ丘駅」。

 冒頭写真は、駅ホームから南を望んだもので、左手に「KINCYOスタジアム」の照明塔が見え、長居公園の緑が続いています。

 駅周辺を探るシリーズ。今回は、「長居池」に関して、いくつかの文献を引用しながら進めます。

 

 現在は、「鶴ケ丘駅」の北西部から始まる「長池」。地形は南部が高く北へ徐々に下がっています。

 「長池公園」・「グランド」・「昭和中学」などで分断されていますが、元々は「股ヶ池」まで、道路では分かれるものの、いくつかの池が連続した形で繋がっていることや、その始まりが「臨南寺」の北西部であることは、このシリーズでも見てきました。


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 前回、その南端の池が「大町池」と呼ばれていて、現在の「大阪市交通局」辺りにあったと見られることを述べましたが、そのヒントになったのが『東成郡誌』です。

 大正111922に大阪府東成郡役所が編纂・発行したもので、前回に見たように、現在の長居公園を含む寺岡・堀一帯も、大阪市に編入されて、住吉区になる数年前の記述です。

 旧字体などは改めて引用します。







●「第21編 長居村」。村名の命名は、次の説に従ったと記しています。

   「往古寺岡一帯の地を長居の里(ながいのさと)と称した

 時の大字寺岡については、西は住吉村、北は田辺村に接し、形状は南北に長い長方形で、東西約7町(約760m)、南北約19町(約2070m)あるとしています。名称の由来については、

   「一帯に丘岡を為す。ここに寺院のあるしなるべし


●また、村内には池沼が沢山あって灌漑には困らず、水利組合は組織していないとあります。

 菱や蓮を生じ、コイ・フナ・ナマズの類が棲息する池沼で、村長が管理するものとして、次のものを挙げていますが、全て民有地とされています。

   「寺岡所在大町池・今池。 堀所在下の池・上の池・西の池・今池・小今池


 この内、最も大きいのが、寺岡大町池東40番地にある「大町池」。

   「幅員(東西)66間(約120m)。同(南北)=141間(約256m)。

    周囲442間(約804m)。面積2町6反1畝18歩(約25,944㎡=約2.6ha)」


●そして、「名所・旧跡」の章に、

   「長居池及長居浦大町池より田辺町池田池、股ヶ池に連なって狭長の池の形を成す。

    これ往古の長居池にや。

とあって、猿山新田・南田辺の共有池「池田池」の南、いわゆる「長池」の最南端にあった池が「大町池」と呼ばれていたことが分かります。

 ただ、最北端までを合わせての往古の名前に触れてはいますが、「長居池であろうか」との表現は、分かっていることをわざとボカしているというより、疑問符付きと見るべきでしょう。

 「大町池」と「長居池」は、何らかの関連があったのではという程度に理解しておきましょう。


●この項は更に続きます。

   「『摂津名所図会』に長居池。住吉の東、寺岡・田辺の辺りと言う。

   「同書に長居浦。水源長居池より流れて、細江川と言う。其の下流れ海に入る所の

   浦曲を言う歟(か・や)」

 江戸後期の寛政10年(1798)に刊行された『摂津名所図会』の第一巻「住吉郡」に見える、「長居池(ながいのいけ)」と「長居浦(ながいのうら)」の記述の引用です。

 「長居池」が住吉村の東方、寺岡村・(南)田辺村辺りにあって、それより流れ出る水を「細江川」と言い、

住吉浦に達する辺りが「長居浦」と呼ばれたのだろうか…と読み取れます。

 
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         2001年新聞連載、小山田宏一「古代の土木」3の図を利用


 ここで、古代、「依網(よさみ)」の洪水水量を大阪湾に流すため、台地を人工的に掘られた「住吉の堀割」が、現在の「細江川~住吉川」で、「寺岡」付近の水源からも流れていたことが分かっています。

 「大町池」かとも見られる「長居池」から、「細井川」が流れていたことは確かでしょうが、『図会』も疑問符を打つように「長居浦」云々については、少々首をかしげざるを得ません。

 ただ、今よりも海岸線はかなり近く、一方で入海が「桑津」辺りまでありましたので、海はそんなに遠い存在ではなかったとも思われます。


● 「或は、万代(まんだい)池を長居池と言う説あり

とも付け加えていて、「長居池」の在り処には諸説があることが窺われます。







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●『東成郡誌』が引用していた『摂津名所図会』より80年ほど前、享保2年(1717)に出された『住吉名所鑑(かがみ)』を見てみましょう。

 「住吉旧跡並和歌」の項に、いわゆる「歌枕」(古来歌に詠まれる名所)として「長居の浦」と「長居の里」があって、それぞれ和歌一首が紹介されています。

 その内、「長居の里」に関しては、「能因(のういん)」が選んだ摂津国の名所であることが、書き添えられています。


 「能因」とは、中古三十六歌仙の一人とされる平安中期の歌人。

 俗名は「橘永愷(たちばな・ながやす)」(988~?)で、能因法師とも呼ばれます。

 著書に「能因法師集」や「能因歌枕」などがあって、全国の歌枕を集めた「能因歌枕」の「津の国(摂津国)」の中に、「なが井の里」が収められています。


 「住吉名所鑑」に掲載されている歌は、次の通りです。


  長居の浦   君が代を 長居の浦に いる田鶴も 萬代までと 声聞こゆなり   


  長居の里   啼き捨てて 急ぎなすきそ ほととぎす 長居の里の 名をそ頼まん


 「長居の里」は「ホトトギス」ですが、「長居の浦」こ、待望の「ツル」が出てきました。

 「田鶴たず・たづ)」は、ツルの古語です。

 「長居の浦」の特定も難しい段階ですが、「長居池」ひいては「大町池」などにも関連すると見られる地に「ツル」が詠われていたのです。私には、大きな前進です。



●ここで、「住吉区」のホームページに区内の「地名の由来」が載っているので確認してみます。

 

 長居(ながい) 周囲800mの大御池が古くから町域に存在していたが、地元ではこれを

         長居池と属称していた。『摂津名所図会』に長居池・長居浦が見え、

         「霧さえて小夜も長井の・・・」(『千載』)の古歌もある。

 万代(ばんだい) 万代にわたり水が絶えないと伝承された万代池に由来する。

         なお、古歌に詠まれる長居池はこの万代池という説もある。


 喜んだのも束の間、『東成郡誌』には見られない「大御池」なる名前が出てきて、またまた訳が分からなくなりました。                                         

                                                   ( つづく )