「JR阪和線 鶴ケ丘駅」とその周辺を探り、その一環として「駅名の由来」を考えてます。
前回でも少し触れましたが、「鶴ケ丘」を命名した理由としては、
①その名の通り、近くに「ツルの群棲地」があった。
②かつて、この地に町村名や字名などの「地名」があった。
③古来多くの歌に詠まれる名所としての「歌枕」がある。
④「旭ヶ丘」「緑ヶ丘」「桜ヶ丘」「松ヶ丘」「光ヶ丘」などのように、良い意味・めでたい意味の言葉から
創作された「瑞祥名」で、長寿を象徴する吉祥の鳥・ツルに因み、新駅付近の繁栄を望んだ。
などが考えられると思います。
これまでの、簡単な考察では、②の地名説は消えるものと思いますが、あえて地名を反映するなら、何が候補に挙がったであろうかを、自分なりに推察したいと思います。
< 平成13(2001)年発行地図(アルプス社刊)に加筆 >
新駅開業当時は、周辺は大阪市住吉区。隣接する町は、駅と東側が「山坂町」、西側が「西田辺町」。
● この内、「山坂町」は、所在地ではあるものの、開業当時からある隣の「南田辺停留所」も同じ町名であったり、町域そのものが長く、その名の由来である「山阪神社」もそちらの方が近いため、「山坂町」ないし「山坂」は、問題がありそうです。
ここで、「山阪神社」と「山坂町」で字が違いますが、寺社名などをそのまま地名や駅名に使う場合(逆もあり)は、必ずしもそうではありませんが、一字を同じ読み方の文字に変えたり、文字を増やしたり減らしたりすることが、よく行われています。
この例以外の、「四天王寺→天王寺」もそうですし、「美章土地→美章園」、「阿倍野橋→阿部野橋駅」なども、それに当るとみられます。
● 「山坂」が駄目なら、駅付近の旧名「松原新田」や「松原」はどうなのでしょう?
先の地図で、山坂町の中で色を濃くしている部分です。
大和川付け替え後の新田名に由来する、「鴻池新田」の例もあります。
「河内松原」に対して、「摂津松原」や「田辺松原」でも良かったかもしれません。
● 次は、西側の町名に由来する、「西田辺町」ないし「西田辺」。
この付近の「田辺」に由来する駅名としては、それまでに三つありました。
①大正12(1923)年4月に大阪天王寺・布忍間を開業した「大阪鉄道」(現・近鉄南大阪線)が、
その年内に「針中野」までの中間駅として「河堀口駅」に続き開業した「北田辺駅」。
②大正3(1914)年に開業した「南海平野線」の「田辺駅(停留所)」。
③昭和4(1925)年に開業した隣駅、「阪和電気鉄道」の「南田辺駅」
江戸期以降で見ると、もとの二つと合併して出来た、村の名に由来しています。
村名としては存在しませんでしたが、阪和電気鉄道が開通した昭和4(1929)年には、「田辺東之町」・「田辺西之町」が誕生していますし、西隣りの「西田辺町」はそれより早く大正14(1925)年に付された町名で、「田辺」を南北のみならず、東西で表すことが、始まっていました。
大阪市営地下鉄御堂筋線が延伸、昭和27(1952)年に「西田辺駅」が開業する14年も前。
隣接する地名「西田辺町」ないし「西田辺」の採用に、何か問題があったのでしょうか。
東の「松原」との関連でしょうか。
西田辺と松原が相殺して、地名採用がはずされたのかもしれません。
歴史上、この地に「鶴ケ丘」なる地名は確認できず、結果的にも地名由来のものではありませんので、冒頭の4つの由来の内、何とかして①か③が見つかればいいのですが・・・。
ここにきて、地名に未練がましいですが、「鶴ケ丘駅」に近い山坂5丁目の南、「長居公園北口」の傍らに、「旧町名継承碑」があります。
住吉区の「東長居町」を東住吉区が継承したことに関するものですが、この西方には、4・5回目にも触れた「松原霊園」に隣接して「東長居霊園」もあります。
次回は、この「東長居」を含む「長居公園」にも踏み込んで、「鶴ケ丘」の由来?に、少しでも近づきたいと思います。