大阪市平野(ひらの)区平野宮町に鎮座する「杭全(くまた)神社」。
「素盞鳴尊(すさのおのみこと)・牛頭天王(ごずてんのう)」を祀る「祇園社」が本社ですが、境内社としては、各地の神社によくある「恵比須社」・「稲荷社」をはじめ、「天満宮」など数多く祀られています。
冒頭の写真は、その一つ、「杭全恵比須神社」です。
境内には、「牛の石像」もあります。
祀られている、熊野三社の「熊野牛王(くまのごう」という「牛王宝印(ごおうほういん)」の護符(絵柄はカラスですが…)奉納に由来するものか、あるいはまた、天満宮の祭神である丑年生まれの「菅原道真(すがわら・みちざね)に所縁のものなのでしょうか。
朱色の鳥居と神使いの狐がシンボルの「稲荷神社」。「吉岡大明神」の白い提灯が懸っています
「狛犬(こまいぬ)」の「阿吽(あうん)」の姿ではありませんが、一対の「狐の石像」があります。
「狐(きつね)」は、稲荷神社の祭神「宇迦之御魂神」もしくは「倉稲魂神」と書く、五穀や食物を司る「農耕神」「穀霊神」である「うたのみたまのかみ」の「神使(しんし)」とされます。
わが国では、最も多く祀られている神ですが、仏教の「茶吉尼天(だきにてん)」とも習合しています。
また、本来は、「稲荷神」ですが、農村では「田の神」と同一視され、田の神の使いとされる「狐」と共に「農耕神」としてして信仰されるようになったとも言われています。
やがて、「現世利益の神」とされて「工業神」や「屋敷神」の性格もおび、全国に広まりました。
今も単独の神社以外にも、氏神の境内や、工場や邸内にも祀られているのをよく見かけます。
ところで、この狐像。何かをくわえています。
右側が、最も一般的な、稲霊(穀霊)を象徴する「玉(たま)」。本来の姿とも言えます。
左側は、何か巻物のようにも、道具の一部にも見えます。
狐像には、上記の経緯から、稲を刈る「鎌」や、穀物を納める「蔵の鍵」をくわえているものもあるようで、これもその一部かもしれませんが、「経文(きょうもん)の巻物」ではないかと思われます。
境内にはまだまだ多くの社がありますが、参道際の「弁天池」に向かいます。
「弁天池」北側に、境内の最も北東隅に本殿などと共に並び鎮座する、前記の「天満宮」を拝める祠が設けられています。
傍らには、昨・平成24(2012)年の「杭全神社1150年祭」を記念して設置された句碑があります。
「平野七名家」の一族で江戸時代初期の俳人「末吉道節(すえよし・どうせつ」(1608~54)の代表作で、この句によって「白うるり(白瓜)の道節」と呼ばれたそうです。
「 もしあらば 雪女もや 白うるり 道節 」
「宇賀神社」も祀られている「弁天池」ですが、近年、池の水の浄化でも話題になりました。