中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 現在の「大阪市阿倍野区昭和町(しょうわちょう)1~5丁目」。

 昨日は現行町名の表示板を古くまで遡りましたが、今日は更に古い旧町名板を探します。


 ●この「昭和町」の名は、4月29日のブログでも触れましたが、昭和41929が始まりです。

 当時は「住吉区」。東・中・西の三つから成り、「昭和町東1~4丁目」・「昭和町中1~5丁目」・「昭和町西1~5丁目」がありました。


 ●昭和91934に、北田辺町・西田辺町の一部と、「昭和町東・昭和町中」の一部からなる、「山坂西ノ町」が誕生します。のちに生まれる「桃ヶ池町」・「長池町」の前身ですが、これが「昭和町」にとっては、第一次町域縮小と言えます。


 ●昭和181943に、東住吉区と共に住吉区から分離・独立して「阿倍野区」となっても、町名はそのまま引き継がれました。翌年、「桃ヶ池町」が出来ます。


 ●昭和291954には、「昭和町西5丁目」の一部が「西田辺町」に編入されます。第二次の町域縮小です。この年、「長池町」が成立します。


 ●それまでの、東・中・西が、一つの「昭和町1~5丁目」になったのが、昭和411966

  この時、「昭和町」の第三次の縮小が行われ、現在の町域となりました。

  同じ年、「阪南町」も、東・中・西が一つになって「1~5丁目」が誕生しました。

    昭和町東1~4丁目の一部 ⇒ 「桃ヶ池町1~2丁目」に編入

    昭和町中1~5丁目の一部 ⇒ 「長池町」に編入

    昭和町西1~5丁目の一部 ⇒ 「阪南町」に編入


 これらの経緯を見ると、旧町名の表示板の調査は、現在の「昭和町1~5丁目」だけでなく、東の「桃ヶ池町1~2丁目」と「長池町」、南の「西田辺町1丁目」、西の「阪南町1~5丁目」の、それぞれ「昭和町」に接する個所辺りまで、範囲を広げる必要がありそうです。

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 先ずは、現在の昭和町の町内会掲示板。それぞれ「三(丁目)中」「三(丁目)東」でなく、「中三」「東三」となっているのは、「昭和町中三丁目」「昭和町東三丁目」の名残なんでしょうか?






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 個人宅の自家製のようですが、「阿倍野區昭和町東二丁目二十五番地」の表記がありました。

 「町名番地」表示なので、少なくとも昭和37(1962)年以前。しかも「区」が旧字体の「」となっていますので、阿倍野区誕生の昭和18(1943)年近くまで遡るものと思われます。


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 現在の昭和町5丁目8番街区に残る、「阿倍野区 昭和町中五丁目4番地」。

 「木製板」。浮造りではなく、青く塗った下地に白いペンキで書かれています。

 これも「町名番地」表示ですが、「」は新字体。下に、「明治生命」の広告付きです。

 これで、「昭和町東」と「昭和町中」の一例を探せましたが、「昭和町西」が見つからないので、「あびこ筋」を渡ってその西の「阪南町」に入ることにします。


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 「松虫通」との「昭和町駅前交差点」の北西、「あびこ筋」を1本西に入った細い筋に、目的とするものがありました。「阪南町1丁目28番街区」です。


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 「杉板の浮造り」。木目の秋材部同様、文字も浮き上がっています。

 「大阪市章」の澪つくし、横書きの「阿倍野區」の下に「昭和町西一丁目16番地」。

 「町名番地表示」で、右脇に小さく「〒阿倍野局区内」とあります。

 阿倍野区誕生と、ほぼ同時期のものとみられます。

 広告は、「ヒチ松屋」。右に「サービスマンテン」、左脇に「アベノ・・・」が読み取れます。

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