大和川の「下高野橋」に通じる、大阪市東住吉区矢田地区の「下高野街道」沿い。
矢田4丁目5番街区に、興味をそそられる寺院があります。
初めに目を引いたのが、うちの家紋と同じ、山門や瓦などに見える「九曜紋」。
その山門に掲げられているのが、「浄土真宗本願寺派・西光寺(さいこうじ)」。
奇しくも、中甚兵衛(法名=乗久)の嫡子・中九兵衛が、「吉原村・西光寺の儀、先祖位牌寺にて乗久大切に思召し候」と書き残した、現在の東大阪市吉原の西光寺と、宗派・寺名も同じです。
道路沿いに塀が続き、かなり敷地が大きいようですが、もう一つ山門が見えるので進みます。
何と、「浄土真宗本願寺派・光西寺(こうさいじ)」とあります。
< 南側の山門 > < 北側の山門 >
もう一度見直します。
同じ宗派で、寺院名が逆になっている二つのお寺が並んでいたのです。字体も似ています。
地名辞典で確かめると、共に、江戸期の丹北郡矢田部村時代から存在が確認できる2寺でした。
珍しい光景です。
< 光西寺本堂の大屋根 >
< 街道南側から見る両寺院 >
街道の北側からも、南側から見ても、外からは一つの寺院に見えましたが、改めて見直すと、ここが境界のようです。