「三國丘・三國山」、「方違宮・方違社」の名が、境内のあちこちに見える「方違神社」。
「堺市堺区北三国ヶ丘町2丁」の「反正天皇陵」の北に鎮座しています。
鉄道の最寄り駅は、「南海高野線・堺東駅」。今回は「JR・堺駅」から訪れましたが、両線の共同駅「みくにがおか(三国ヶ丘・三国ケ丘)駅」よりは、近い位置にあります。
境内には、明治40(1907)年に合祀した、当時の泉北郡向井村の氏神「向井神社」の石碑もあり、社務所の北部から東側にかけて、「神明社」・「稲荷社」などの末社が建ち並んでいます。
これらの内、方違神社本殿と末社稲荷社は安土大坂(安土桃山)時代の修築と伝わっています。
この奥には稲荷社が集まり、5明神が祭られています。
< 大年大明神・鈴山大明神 >
< 八幡社 >
< 末次大明神 > < 白髭大明神 >
「楠木姫大神」と「御神木」です。この南側に本殿が見えます。
境内南側は「反正天皇陵(百舌鳥耳原北陵)」に隣接しています。
第18代になる反正(はんぜい)天皇は、第16代・仁徳天皇の第3皇子とされます。
< 境内には祇園社の牛頭天王(ごずてんのう)の名も。 >
昭和58(1983)年発行の『角川日本地名大辞典・大阪府』(角川書店)に掲載されている写真です。現在とは違い位置に鳥居が見えます。
尚、本ブログでは、神社ホームページと堺市が設置している説明板などに倣って、「ほうちがいじんじゃ」の読みを採用しましたが、大阪の地名確認の図書である、上記辞典および昭和61(1986)年初版の『日本歴史地名大系・大阪府の地名』(平凡社)では、共に、「方違神社」は「かたたがいじんじゃ」とあり、索引の「ほ」の項目で、「ほうちがいじんじゃ」を探しても見つかりません。