古くより方災除けの神として知られ、今もなお普請・転宅・旅行などに際し、方除け祈祷のお祓いを望む人が絶えない、堺市堺区北区三国ヶ丘町の「方違(ほうちがい)神社」。
神社由緒書に依ると、その前身は、第10代・崇神(すじん)天皇の時代に「素盞鳴命(すさのおのみこと)」を祀ったのに始まり、第14代・仲哀(ちゅうあい)天皇の「神功皇后(じんぐうこうごう)」が、日本に祭る全ての神々、「八十天万魂神(やそあめよろずみたまのかみ)」・「天神地祇(てんじんちぎ)」を祀り、方違祈祷をしたとされます。
その後、神功皇后の子である第15代の「応神天皇(おうじんてんのう)」が、「住吉大神(三筒男命・みづつのおのおおかみ)、「神功皇后(息長足媛・おきながたらしひめ)」を合わせた4座を祀り、「方違大依羅神社(かたたがへ おおよさみの かむつやしろ)」と号し、その社を「方違宮」と称したとされています。
改称を重ね、現在の「方違神社」の名になったのは、明治40(1907)年11月のことです。
< 常夜燈などに見える「方違宮」の文字 >
神功皇后が馬をつながれたという旧跡には、「神功皇后 御馬繋之碑」が建っています。
境内には、 祈祷・お祓いを受けるためなど、遠方から参拝する車の出入りが絶えません。
「方違宮」とは別に、大きな「常夜燈」には「方違社」と刻まれています。
「方違社」の石柱が傍らに建つ「くすのき」は、昭和55(1980)年3月15日に「堺市古樹名木」の第8号として指定されています。
この先にも鳥居が見えますので、進みます。
境内東南側の参道の鳥居の外側には、「厄除 方違神社 是より東十町」とあります。
( つづく )