中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 堺市堺区北三国ヶ丘町2丁目の旧「長尾街道」沿いにある「方違神社」。

 「方違え(かたたがえ)・方災除け(ほうさいよけ)の神」として知られ、「ほうちがいさん」の名で親しまれています。

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 平安時代の「陰陽道(おんようどう)」の説の一つ、「方違かたたがえ)」。

 外出する時、目的とする方向に「天一神なかがみ・てんいちじん)」がいれば、「ふたがり」と言って忌み、前夜に「吉方(えほう)」の方向に一泊して、方角を変えて目的地に行くことを言います。

 摂津・河内・和泉の三国が接する所、いわゆる「三国山・三国の巷・三国丘」と呼ばれる交通の要衝に、この社がありました。

 摂津国から見ると南、和泉国から見ると北というように、東西南北の方角を相殺し合うことから、この地には方角がなく、方位の災いを取り除く神として、古くから信仰を集めていました。

 この地に来ると、一度に三国を旅したことになり、「方違」にもなることから、平安時代の「熊野詣」の人々は必ずここへ参拝したと言われています。

 これらから、「方違神社」は「かたたがえじんじゃ」かと思えば、神社のホームページなどの説明では、「ほうちがいじんじゃ」と読むのが正しいとあります。堺市が設置した上掲の説明板も同様です。


 余談ですが、大和川付け替えが行われた江戸期、川の付け替えのことを「川違かわたがえ)」と呼んだことが、当時の文書や絵図に認められます。


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             < ↑ 神社境内に見る「三国山・三国丘の文字 ↑↓ >
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 神社鳥居の手前左側には、昨日のブログにもあった「万葉歌碑」が建っています。

 石柱正面は、篆書体(てんしょたい)文字で刻まれた「方違神祠(しんし)」。
 向かって左側面に、『万葉集・巻第七』で譬喩歌(ひゆか)・寄獣として採り上げられている

    「 三國山 木末爾住歴 武佐左妣乃 此待鳥如 吾俟将痩 」

が彫られています。

 「三国山 木末(こぬれ)に住まふ むささびの 鳥待つごとく 我(われ)待ち痩(や)せむ

 「三国山の梢(こずえ)に住むムササビが鳥をじっと待っているように、私は来ぬ人を待ちわびて、痩せてしまいそうです」

 一三六七。作者は分かりません。

 

 ただ、「三国山」は全国各地に見られる一般的な名称であることから、他の万葉集の歌の地名論争に見られるように、必ずしもこの地の歌として特定出来るものではありません。

 福井県坂井郡三国町の三国港東北にある山地とする説もあります。







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                    < 「方違宮」の石柱と、その本殿

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                                                      ( つづく )