中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 今日、開業71周年を迎えた、南海とJRの共同駅「みくにがおか」。

 今では通称地名としての存在感を有しています。

 駅舎の表示は写真の通りですが、昨年の2月14~16日のブログでも採り上げたように、正式には、南海は「三国ヶ丘駅」、JRは「三国ケ丘駅」と、「が」と発音する「ケ」の大きさが違います。

    2011年2月14日のブログ ⇒  http://ameblo.jp/imagome/day-20120214.html


 元は、昭和17(1942)年に、当時の「南海鉄道」の「高野線」と「山手線」が交差するこの地点に、その乗換駅として、二つの「三国ヶ丘駅」を作ったのが始まりです。

 しかし、「南海山手線」、すなわち現在の「JR阪和線」では、本来の「三国丘」の意味を考えると、一つ天王寺駅側に位置する「堺市駅」の方が、その名を付けるにふさわしいとも言えます。

 今年は、「堺市駅」から、その西方にある「方違神社(ほうちがいじんじゃ)」を訪れます。

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                       < ↑ 「方違神社案内板」から ↓ >
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 更に、どうやら、この付近の「三国丘」地点は、神社より「堺市駅」の方が近かったと言えるのです。






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 「堺市駅」の南から西方に伸びる道路。これが古代、東西の幹線道路の一つであった「長尾街道」を踏襲したものです。「北三国ヶ丘交差点」辺りから、その顕彰碑が歩道沿いに設置されています。

 この付近から西は、永く明治に至るまで、摂津国(摂州)と和泉国(泉州)の境界を形成していました。


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       < 長尾街道の顕彰石柱。字を読みやすいよう、横に引き伸ばしています。


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 現在の道路名は「府道12号・堺大和高田線」ですが、「堺大和路線」の愛称もあるようです。

 よく見ると、市制100周年を記念して平成元年(1989)に市の花・鳥・花木に制定された、「ハナショウブ・モズ・ツツジ」がデザインされています。






 「和泉国」と「摂津国」の境界が「長尾街道」であったことは万人に認められていますが、問題は、「河内国」との接点を長尾街道上のどこに置くかということになります。

 異論もあるかとは思いますが、『堺市史』の説を参考にすると、「堺市駅」がかなり近いことになります。先の「南三国ヶ丘交差点」付近でしょうか。


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 これは兎も角として、「方違神社」に向かいます。

 途中、道案内は見つけ得ませんでしたが、敷地にさしかかった角にようやくありました。


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 「JR堺市駅」はここを通るバスも出ていて、「方違神社前」のバス停があります。

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 「方違神社」については明日のブログに続けます。

 拙書・大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 2月15日の頁です。          



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