「築留三番樋」と「築留二番樋」の間の堤防上にある、「大和川治水公園」から見た北方向。
この辺りの地名は「柏原市上市(かしわらし・かみいち)」です。
今回の「長瀬川に沿って」で見て来た、「柏原南口」以北の「近鉄道明寺線」、「JR大和路線」や、「築留土地改良区」付近から始まり「JR柏原駅」付近まで見た疏水(長瀬川)沿いの「アクアロード柏原」など、全てがその地域内に含まれます。
元はと言えば、古大和川の川底。付け替え後に開発された新田地です。
付け替えの翌年から開発、宝永5年(1708)に検地を受けて、一つの村として発足した「市村新田(いちむらしんでん)」の一部となりました。今年で305年が経ったことになります。
この新田は新川の「潰れ地」の代替地としての要素が強く、北の「二俣新田」までの地域を、田畑の一部を失った、柏原村・舟橋村・北條村・川辺村・苅田村などの農民23名が7組に分かれ開発しました。
「市村新田」は、明治22(1889)年に「柏原村」の大字となり、明治43(1910)年に、他の全ての新田同様、新田の文字がはずされ、「市村」となりました。
今回見ている地域が、「柏原市上市」になったのは、昭和40(1965)年のことです。
国土地理院発行の「土地条件図」(昭和58年印刷)で見る、古大和川跡付近です。
赤線で囲んだ部分が大凡の「市村新田」、中央を流れるのが現在の長瀬川です。
JR大和路線・近鉄道明寺線も走っています。中央がその柏原駅、下部に近鉄柏原南口があります。
冒頭写真と同じ、築留堤防に沿う道に沿う古民家。
「市村新田」の会所かと思える(あくまで感想)ほど、立派な大きな屋敷です。
手前に祠と思しき小さな屋根が見えるので下りてみます。
お屋敷前の「南天」の葉と実が、きれいに色づいていました。
奥に「近鉄道明寺線」の鉄橋が見えますが、堤防際の大クスと石碑が目につきます。
石碑の台座には、「妙見宮跡・妙顕寺」の文字が見えますが・・・。
法華宗の「妙顕寺」(上市2丁目)との関係は不勉強です。
目的とする祠は、その手前にあり、お地蔵さんが祀られていました。
短い地蔵名は見つけ得ませんでしたが、次のような文字が掲げられていました。
「市村の里を見守る地蔵尊 助け給へと祈るひと声」
「築留二番樋」と「築留三番樋」の合流点付近の地蔵堂。
元は個人宅で祀られていたものを移築したという、「築留地蔵尊」です。
あと一つ、今回の散策で気付いたお地蔵さん。
JRの踏切を渡った所にある「南若松橋」、その長瀬川の右岸傍らに祀られている「若松地蔵尊」です。