大和川沿いではないものの、南は住吉区、東は東住吉区に隣接する「阿倍野区」。
「JR関西本線(大和路線)」を挟んで、北は「天王寺区」です。
その接点には、キタのJR「大阪駅」と地下鉄・阪急・阪神の「梅田駅」同様、JRや地下鉄の「天王寺駅」と近鉄「阿部野橋駅」があって、他の地域の方にとっては、ややこしい所です。
すぐ近くにある「茶臼山」。市内3大古墳の一つともされていますが、古代、当時の大和川の主流「河内川(のちの平野川)」を西の海に流そうと試みた時の、掘削土を盛り上げたものとも見られます。
大和川開削でも大きな難題であった「上町(うえまち)台地」のこの付近の頂きが「天王寺駅」辺り。
また、近世の大和川付け替え検分でも、この少し南まで北寄りにふられた際、当時の「阿倍野村」が迷惑を訴えた記録が残っています。
< JR天王寺駅 > < 近鉄大阪阿部野橋駅>
JR天王寺駅の所在地は「天王寺区」、近鉄の阿部野橋駅は「阿倍野区」。
「阿部野橋駅」名の由来は「阿倍野橋」。字を一時変えています。
その「阿倍野橋」がどこにあるのでしょうか? 大阪でも即座に答えられる人は少ないようです。
「橋の下に水は流れず、レールが走る・・・」。
「阿倍野橋」は「跨線橋(こせんきょう)」。天王寺区の「天王寺駅」前にありました。
< JR天王寺駅・阪和線ホーム > < 阪堺電軌上町線・阿倍野駅 >
< 口縄坂にある夕陽丘高等女学校跡碑(左)と現在の大阪府立夕陽丘高等学校 >
< 信州野沢菜のルーツ・天王寺蕪 > < 浪速ことばせんべい >
< ビリヤード保名(やすな)倶楽部 > < 安倍晴明神社 >
< セレッソ色一杯の阪和線鶴ケ丘駅 > < 鶴ケ丘本通り商店街 >
< 阪和線新旧高架部のつなぎ目 > < 阪和線高架と一体化した下町情緒 >
< 猿山新田開拓者・奥田邸の大クス > < 猿山新田は現在の西田辺。その狸地蔵 >
「ブログ回顧(1)」で今年の「季節の花」や「その他」を採り上げましたが、ここで昨年分を整理します。
< ユリカモメ > < 大地震両川口津浪紀 >
明日の「長居公園・長居植物園」で、「ブログ回顧2011・2012」を終わる予定です。