大阪市南部の大和川沿いに、「住之江・住吉・東住吉・平野」の4つの区があります。
付け替えられた大和川は、多くの村落を分断しながら海に流れ込みました。
明治になって「摂津国(摂州)」と「和泉国(泉州)」の境界は「大和川」と定められましたので、現在の大阪市住之江区・住吉区と堺市の境界線は、大和川の中央に引かれています。
その名残として、市は違いますが、中央で分断された「遠里小野村」領域では、大阪側に「遠里小野」、堺側に「遠里小野町」の町名があります。
< 住吉行宮正印殿跡 >
「大和川」の名を冠した公立校。南海高野線沿いには「大阪市立大和川中学校」があります。
一方、住吉区苅田にある「大阪府立大和川高等学校」は、この春の卒業生をもってその名は消え、「大阪府教育センター附属高等学校」に変ります。
因みに、東住吉区にあった「大阪市立大和川小学校」は、いち早く統合で姿を消しました。
< 大和川陶版画ストリート* > < 大和川堤防上にある 大和川雲上地蔵尊* >
(*印の2点は当地域に属しますが、今回のブログでは「大和川」の項に分類しています)
< 一寸法師ゆかりのまち 安立商店街 > < 地下鉄我孫子検車場跡の浅香中央公園 >
<大依羅神社神社 南門 > < 保存樹 苅田・寺田邸内の椿 >
東住吉区・平野区の大和川近くは、「河内国(河州)」に属していたため、300年以上を経過したした現在でも、南の松原市などとは必ずしも大和川で境界線が引かれていません。
東住吉区の「矢田7丁目」、平野区の「瓜破南1・2丁目」や「長吉川辺4丁目」は、大和川の南にあって、「大阪府立平野高等学校」も三方を松原市に囲まれています。
< 田辺郷山阪 八日戎社 >
< 山阪神社夏祭 >
< 大和川天然温泉「ふれ愛温泉矢田」 > < 閉鎖された同源泉「ラスパ大阪」 >
< 温泉発掘のきっかけとなった湯里の町名 > < 湯里住吉神社 >
< 「うどんや」という「薬屋」 > < 駒川商店街の{駒川まつり」 >
< 旧瓜破村集落の町並み > < 中野鍼 >
< 法楽寺 > < 覚林寺 >
< 川辺八幡神社 > < 阿麻美許曽神社 >
(つづく)