「JR阪和線」沿い、「南田辺駅」の北西にある「桃ケ池」。
周囲は「桃ケ池公園」として整備されています。
所在地の町名も、池の名に由来する「阿倍野区桃ケ池町」。
元は、「山坂西ノ町」でした。昭和9(1934)年から「住吉区」、昭和18(1943)年からは分区した「阿倍野区」に属し、昭和19(1944)年から現在の町名になりました。
当時の「ももがいけ」の表記は「股ケ池」。「股」の字を「桃」に変えて町名となりました。
「南海平野線」が通っていた時は、池の北側に「股ケ池駅」がありました。
< ① 現在の地図 > < ② 昭和50年前後の地図 >
現在の「桃ケ池」の北側の「阪神高速松原線」と「地下鉄谷町線」の通る位置に、②の地図には、「南海電鉄平野線」とその「股ケ池駅」、「阪神高速道路 大阪松原線 予定」、更に、「桃ケ池町」に「股ガ池」の表記があります。
「桃ケ池」のハス群生のある個所からは、「あべのハルカス」がかなり下部まで見通せます。
「ももがいけ」は、「桃ケ池」・「股ケ池」の他にも、「脛ケ池」・「百ケ池」の表記があったようです。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 12月1日 要旨 ☆★
● 《 豪商「淀屋」の蔵跡出土(1988) 》
江戸時代、大坂の3大市場の一つだった「天満の青物市場」。そのルーツは、当時の大和川の最も下流部に架かる公儀橋「京橋」の南詰にあったことが分かっています。昭和63(1988)年のこの日、中央区大手前1(旧・東区京橋前之町2)にある「追手門学院小学校」の校舎建て替え用地で、淀屋のものとみられる「2棟の蔵跡」が見つかりました。