大阪市住吉区「苅田10丁目」の、「大和川右岸堤防」に立ってます(11月7日・立冬)。
西に傾いた太陽が、雲の隙間から見え隠れしています。
●7地点の苅田と庭井の境界道路の南端から、石段を登れば堤防上の自動車道路。
歩道はありませんが、車の途切れるのを待って、渡ります。
下流の「吾彦大橋」にかけての「苅田10丁目」の河川敷には、黄色い「セイタカアワダチソウ」に負けじと、「ススキ」が生い茂り、白い穂を風に揺らしています。
●7地点から道路を渡ったほんの少し下流側の石段から、●8の河川敷に下りてみます。
< 青い橋は「吾彦大橋」、対岸の堺市の建物が見えます。 >
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 11月11日 要旨 ☆★
● 《 彦坂重紹、大坂西町奉行に就く(1662) 》
半世紀にわたる大和川付け替え事業の期間中、それに関わる期間が短い役人が多い中、20余年にもわたってこの問題に携わったのが、彦坂九兵衛重紹(くへえ・しげつぐ)。大和川が急速に天井川の状態に進み始める、寛文元年(1662)年のこの日に大坂西町奉行に就任。延宝5年(1667)年に大目付に転じるまでに3回の付け替え検分があり、自らが検分役人を務めることもありました。大目付としても、天和3年(1683年)の検分を実施しました。