先月22~31日まで連載した「大阪市住吉区苅田」地区の散策。
再開して、残した「苅田9丁目」の南部と「苅田10丁目」を続けます。
冒頭写真は、「苅田9丁目」北部の、「苅田南公園(■)」の東側にある「苅田土地改良記念会館」。
その東側の道を南下(写真では左手方向へ)すると、「庭井」地区との境界を進むことになります。
今回は、下の地図の●(1~8)を撮影ポイントとして、一気に大和川まで進みます。
< ●1 庭井2丁目(左)と苅田9丁目(右)との境界道路のスタート地点 >
< ●2 庭井2丁目・大阪府立阪南高等学校(左)の北西角 >
< ●3 依網池グランド(左)と大阪市立苅田南小学校(右) >
庭井2丁目はずっと大和川まで続きますが、右手前が「苅田9丁目」の南東隅に当り、右への道、「大阪市立苅田小学校」正門前の道より南は、「苅田10丁目になります。
< ●4 依網池グランド(左)と苅田南小学校の東側ブロック塀(右) >
< ●5 振り返ると、苅田南小学校(左)と依網池グランド(右) >
庭井側のグランドには、「依羅池公園広場・野球グラウンド」とあります。
「依羅池(よさみいけ)」は「依網池」とも書く、大和川付け替え以前に存在した大きな池です。
●4の写真でも分かるように、●5の地点から道は東寄りに方向を変えます。
この地点、苅田南小学校の南には、「ゲートボール場」があります。
< ●6 阪和貨物線跡の手前 >
●6地点。道路の狭まった所が、左右に「旧JR阪和貨物線」が通っていた所です。
奥に、大和川右岸堤防が見えます。
< ●7 大和川右岸堤防際 >
庭井(左)と苅田(右)の境界道路を、大和川の右岸堤防までやって来ました。
右側には、「苅田10丁目振興町会広報板」が建っています。
住宅・生活圏は、苅田10丁目・庭井2丁目ともここが南端ですが、両町ともその領域は大和川の中央まで続いていて、対岸の「堺市北区常磐町3丁目」と接しています。
< 大和川堤防上から対岸を望む >
下流に架かる「吾彦(あびこ)大橋」までの北岸側が「苅田10丁目」です。
明日は、河川敷の●8地点に下りてみます。
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● 《 中九兵衛重孝娘・やえ、命日(1880) 》
中甚兵衛から数えて4代目・中九兵衛重孝の娘「やえ」は、「煙草包丁鍛冶」の名家として知られる堺の「石割家」に、天保年間に嫁ぎました。嫁入り道具一式の記録も残っています。しかし、1女はもうけたものの、盲目となり離縁されました。明治13(1880)年のこの日、57歳の生涯を閉じています。