中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 広葉樹の木々の葉の彩づきが、日々深まりを増す「長居公園」(大阪市東住吉区)。

 今日と明日は、実質、晩秋にさしかかった外周道路などの木々を見て歩きます。


 暦の上では、今日から「冬」。日あしも目立って短くなります。

 大阪の「立冬」の日の「日の入り」は、この日から夕方5時を切って「16:58」。

 暦を見ると、この月末から「冬至」以前の12月9日までの、「16:47」まで更に早くなります。


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 昨日の午後2時過ぎ、気温は18.6℃と表示されていました。






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 明日は、公園内の、この外周道路と臨南寺前道路の、「銀杏の並木」を見ます。





★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 11月7日 要旨 ☆★


● 《 昭和の大阪城天守閣の復興(1931) 》
 寛文5年(1665年)の落雷で焼失した大坂城徳川天守閣。以後、江戸期~明治~大正と、その雄姿がなかった天守閣を再建する構想が、昭和3(1928)年に打ち出されました。時の大阪市長・関一(せき・はじめ)が、大阪城を都市公園として整備する中枢的施設として、歴史博物館の機能を持つ本格的天守閣を建造する計画を市民に問ったのです。市民はそれに応え、折からの不況にも関わらず、150万円もの浄財が集まり、昭和5(1930)年5月から復興工事が始まり、1年半をかけて完成。昭和6(1931)年のこの日、大阪城公園の開園式が行われました。