大阪市東住吉区山坂(やまさか)2丁目にある「山阪(やまさか)神社」。
江戸期から明治にかけて、摂津国住吉郡の「北田辺村・南田辺村・砂村・松原新田・猿山新田」の、鎮守・守護神である「産土神(うぶすながみ)」でした。
古くは、「田辺東神」(中井神社)に対する「田辺西神」と言われ、その氏子領域の境は、大和川付け替えまで、駒川と今川の間を北流していた「狭山西除川」で、今に引き継がれています。
今年の「秋祭りも近い「山阪神社」は、北方近くの「法楽寺」などと共に、「大阪市史跡連絡遊歩道」である「歴史の散歩道」のコースに選ばれています。この東の鳥居前に標識があります。
因みに、法楽寺の西、山阪神社の東を南下する道辺りには、古代の官道である「難波大道(なにわだいどう)が、通っていました。
境内の樹木は、平成4(1992)年に「大阪市保存樹林」に選ばれていて、鳥居横に標識が建っています。代表樹でもある「クスノキ」31本の他、計53本の枝葉の面積は3,250㎡あります。
山阪神社の保存樹林 ⇒ http://ameblo.jp/imagome/day-20111108.html
往古、現在の柏原市に拠点をもち栄えた渡来系氏族「田辺氏」一族の、「田辺宿弥(たなべのすくね」が、この地に移り住み、祖先神の「天穂日命(あまのほひのみこと)」を祀ったのが起源とされます。
地名の「田辺」も、「田辺氏」に由来すると見られます。
< 手水舎(ちょうずしゃ) >
< 拝 殿 >
拝殿の奥に、樹木に囲まれた「本殿」が垣間見えます。
「本殿」の西側にも、今はくぐることがない「鳥居」や「灯篭」・「狛犬」が残されています。
< 石灯篭には「施主 北田辺村 住人」とあります。 >
< 鳥居の向うに本殿が見えます。 >
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 10月10日 要旨 ☆★
● 《 浅香山稲荷神社建立遷宮式(1704) 》
「狐伝説」や「千両曲がり伝説」が伝わる、堺市北区東浅香山町にある「浅香山稲荷神社」。「大和川付け替え」ゆかりの神社として知られています。普請奉行の大久保甚兵衛が神威を恐れ、工事を避けた狐塚の地に神殿を建て、宝永元年(1704年)のこの日に、生玉の別当で遷宮式を挙げたとされています。
浅香山稲荷神社と大和川の付け替え ⇒ http://ameblo.jp/imagome/day-20111115.html