大阪市平野区瓜破東2丁目。旧「東瓜破村」時代に「梨本(なしもと)」という字名があった所。
現在も、正式な地名としては消えましたが、「成本(なしもと)」の名は使われ続いています。
今日は、その「成本天神社」を訪れます。
< 安楽寺と集会所前地蔵堂 >
上記地図の●印の所、「瓜破東2丁目7番街区」に、北から「安楽寺」・「瓜破土地改良区成本集会所」前の「地蔵堂」・「成本天神社」が並んでいます。
< 成本天神社南西角から。集会所や安楽寺が見えます。 >
「瓜破天神社」のような詳しい説明はありませんが、「瓜破地区の天神社の起源」と謳われています。
明治期の瓜破天神社への合祀は見えますが、牛頭天王を祀った当「北ノ宮」が、慶長年間(1596~1814)に「西ノ宮」と称する瓜破天神社に合祀されたことには、触れられていません。
現在の社殿は、昭和61(1986)年に再建・遷宮されたとあります。
祭神は、「素盞鳴命(すさのおのみこと)」と「菅原道真」です。
社殿に向かって右側に、説明書にある「成本大明神」と称する、稲荷社の鳥居が見えます。
別途、天神社正面鳥居の参道左手には、「白龍(はくりょう)龍王」などが祀られています。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 9月28日 要旨 ☆★
● 《 鴻池新田会所、一般公開始まる(1997) 》
大和川付け替え後に開発された新田の内、最大の新田である「鴻池新田」。その管理事務所であった「会所」屋敷地に残る建物・庭園・周濠などが、昭和51(1976)年に「国遺跡」に指定され、昭和55(1980)年には本屋など6棟が「国重要文化財」となりました。これを受けて昭和62(1987)年から修理工事が進められ、10年余りをかけて建築当時の姿が蘇りました。その一般公開が始まったのが平成9(1997)年のこの日のことです。
昨年のこの日のブログも、合わせてご覧下さい。