大阪市平野区の瓜破(うりわり)シリーズの3回目。
「中高野街道」の「瓜破」バス停の東側、「東瓜破村」の集落があった「瓜破東5丁目」。
先ず、「敬正寺」を訪れます。
●=天神社 ●=敬正寺 ●=小松神社
「敬正寺(きょうしょうじ)」(瓜破東5-5)は、浄土真宗大谷派のお寺です。
「天神社」ゆかりの「道昭(どうしょう)」が、大化年間に開基した「永楽寺」遺跡とされています。
旧「東瓜破村」地域には、他に浄土真宗本願寺派の「安楽寺」(瓜破東2)があります。
「大日如来像」は生駒山の花崗岩、「阿弥陀如来像」は二上山の安山岩が用いられています。
当時にも「瓜破」の地名伝承があって、旅に疲れて帰って来た「道昭」に、採りたての瓜を割って差し上げたところ、体調が回復して元気になったことから、「道昭」がこの地にお寺を建立したとされています。
近くの町並みは、電信柱がなければ、江戸時代にタイムスリップしたみたいです。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 9月26日 要旨 ☆★
● 《 唯一の公儀橋「大和橋」架橋(1704) 》
大和川付け替え工事も終盤にさしかかった宝永元年(1704年)のこの日、寸断されていた紀州街道に「大和橋」が架橋されました。新川は古大和川に代わる剣先船航路となるため、その運行を妨げないためにも、常設橋はこの河口の大和橋だけでした。新川で分断された他の街道や、村々の耕地の行き来のためには、取り外し可能な橋や渡し船が許可されました。
昨年の本ブログもご参照下さい。