中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 平野区瓜破地区の「中高野街道」を、南方向にだけ走る大阪市バス。

 「天神社」前のバス停「瓜破神社前」から220m程南に、「瓜破」バス停があります。
 前者は「瓜破東3丁目」、後者は「同5丁目」にあって、その東には旧「東瓜破村」の集落があります。


 今日は、その町並みや寺院を見る前に、「天神社」と深い関係にある「小松神社」を訪れます。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

              =天神社     =小松神社


 小松神社」は、「中高野街道」から東へ、やはり220mほど入った、集落の南東部辺り、「阪和貨物線跡」に接した位置にあります。





中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


       中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 当由来書は、少し混乱が生じているようですが、平安時代末期の武将、「平重盛(たいらのしげもり)」(1138~79)、「平維盛(たいらのこれもり)」(1160~?)親子にゆかりのある神社のようです。


 「清盛」(1118~81)の長子「重盛」は、「小松殿」に住まいしたことから、「小松内附」と称せられました。「小松神社」の名称の由来と思われます。

 また、その長子「維盛」は、屋島の戦の後、高野山に入り僧になり、「那智の海熊野浦)」に入水(じゅすい)したとも言われています。「天神社」の由来書には、維盛の入水に触れています。

 当由来にある当初の「小松大明神」が、重盛・維盛のいずれを指すのかは分かりませんが、合祀の時期のあった「天神社」の祭神のひとつにもあるように、「小松神社」の祭神は「平維盛」と考えられます。




中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


       中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

                      < 小松神社北側の道から

中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 「小松神社」西側の道は、「大和川堤防」に通じています。

 神社の玉垣は、その手前の「阪和貨物線跡」に接しています。

 かつては、現在地の南西方向の大和川堤防沿いに社域があり、「天神社」の「西の宮」に対し「東の宮」と称せられたと言います。旧地はその敷地となったようです。


 「阪和貨物線」は、元々、戦時中に軍事施設として八尾の「竜華操車場」から「大正飛行場」(現・八尾空港)・「瓜破の飛行機工場」に物資を輸送するために作られた線路(谷脇繁氏)。

 戦後、関西本線と阪和線を結ぶ貨物線とするために、用地買収が進められ、出戸駅・瓜破駅なども開業される予定でした。八尾駅と杉本町駅間が開業したのは、昭和27(1952)年です。

 由来書には、その鉄道敷にかかり天神社に合祀、再び分祀して、この地に建立したのは昭和22(1947)年とのことですので、その間は少しの期間であったようです。

 ここで、「南之町」とあるのは、瓜破村に町名が誕生したのは昭和24(1949)年のことですし、それ以降にもその名は見られませんので、大字東瓜破(旧・東瓜破村)の小字名かと思われます。






中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

         < 踏切部分だけ強度を保つため線路が残されている


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

  < 踏切跡から、線路が撤去されている、神社旧地のあった西方向を望む


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記






中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

 「大和川堤防上」にある「左右確認」のミラー。右側ミラーには西方の「高野大橋」が、左側には東方の「府営高野大橋住宅」「府営瓜破東8丁目住宅」が見えます。





★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 9月25日 要旨 ☆★


● 《 台風13号被害、寝屋川改修計画の契機に(1953) 》
 第二次大戦後のアメリカ占領下にあった昭和27(1952)年まで、アメリカ女性の名が付けられていた台風。翌年から発生順の通し番号が用いられるようになりました。その年のこの日に、930ミリバールの勢力で近畿を襲った「台風13号」。近畿では死者・行方不明が480人を越える被害が出ています。大和川付け替えから250年、東部大阪の寝屋川流域の本格的治水工事に取り掛かる契機にもなりました。昭和29(1954)年からの「寝屋川改修第一次計画」では、「第二寝屋川の開削」「楠根川の拡張」「平野川分水路の完成」などがその一環として行われました。