中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大阪市平野区の「瓜破地区」。

 現在は、「瓜破東・瓜破・瓜破西」と大和川南の「瓜破南」の四つの町があります。


 室町期には「宇利和利(うりわり)城」が見え、「ウリワリ」・「ウリハリ」から、「振張村」・「六月朔日(うりはり)村」などを経て、「瓜破村」となったとされています。

 江戸期・延宝年間に、「東瓜破村」と新集落の「西瓜破村西川村)」に分村しています。

 明治22(1889)年から昭和30(1955)年までは、万屋新田を合わせた「瓜破村」が存在しました。


                                  

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 今日は、大和川に「旧高野大橋」が架かっていた「中高野街道」(↓↑)沿いの、「瓜破天神社」()を訪ねます。






 「中高野街道」は南への一方通行で、「瓜破天神社」前には、「高野大橋」方面行きの大阪市バス「瓜破神社前」の停留所」があります。また北隣りには、「平野瓜破郵便局」があります。


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 また、「大和川」以北の「中高野街道」は、「瓜破東」と「瓜破」の境界線。

 神社は「瓜破5丁目」で、バス停は「瓜破東5丁目」側にあります。







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                       < 天神社拝殿


 文献に見える地名の推移をみましたが、この天神社にも地名伝承があります。

 河内国丹比郡の法相宗の僧侶「船連(ふねのむらじ)道昭(どうしょう)」(629~700)が、大化年中(645~649)にこの地で修業していたところ、天神の像が現れたので西瓜(すいか)を割って霊前に供えたというのが、当社(旧称・西の宮)と瓜破という地名の起源とされています。







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 社殿は東面しています。拝殿奥に本殿が見えます。


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                        < 本殿(左)と拝殿

 尚、「瓜破天神社」の祭神は、「素盞鳴命(すさのおのみこと)・菅原道真・平維盛」です。






 境内南側にも、鳥居が建っています。


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 境内には、末社として「稲荷社」(祭神・倉稲魂命)があります。


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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 9月24日 要旨 ☆★


● 《 西方極楽浄土を拝む四天王寺の日想観法要 》

 毎年「春分の日」とこの頃の「秋分の日」の前後3日間行われる「彼岸会(ひがんえ)」。その中日に、「四天王寺」の西大門で「日想観(じっそうかん)法要」が執り行われます。大勢の参詣者も、先祖が逝く「極楽浄土」の東門に通じるとされる「西大門」の鳥居の中に落ちてゆく夕日に合掌します。弘法大師(空海)がこの地で、日が沈む向う側にある「彼(か)の岸」の「極楽浄土」を見出す修業を行ったのが、先祖を供養する彼岸行事の始まりとされています。