中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 「大和川」で分かれている大阪市平野区の「瓜破7丁目」と「瓜破南2丁目」を結ぶ「高野大橋」。

 自動車道の両側に歩行者・自転車用の道がある、幅員約12m・長さ約197mの橋です。


 先ず、左岸・瓜破南の、少し下流側から見ます。


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 次は、瓜破南の上流側から。


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 「高野大橋」の下流に、一段高く見えるのは「阪神高速松原線」です。

 両橋は非常に近くに並んでいるように見えますが、実際には、200m程離れています。

 

 今度は、右岸・瓜破の上流側から見てみましょう。


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 「瓜破大橋」上に見えるのは、阪神高速の「瓜破料金所」です。 







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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 9月15日 要旨 ☆★


● 《 岸城神社例祭日(岸和田だんじり祭り) 》
 「やりまわし」で全国的に有名な「岸和田だんじり祭」。元禄16年(1703年)、翌年には大和川付け替えの御手伝大名に指名される岸和田藩主・岡部長泰が、京都・伏見稲荷を岸和田城三の丸に祀り、五穀豊穣を祈願したのが起源というのがこれまでの通説。が、古文書に依れば、今だんじりが宮入りする岸城(きしき)神社の前身・牛頭天王社(ごずてんおうしゃ)の例祭日であるこの日に、それを盛り上げる神賑(かみにぎわい)とあります。そして、延享2年(1745年)に大坂の賑やかな夏祭に感銘を受けた茶屋新右衛門が、家々の軒に提灯を掲げたいと藩主に願い出たのが祭りの始まりのようです。その後、多様な展開を経て、岸和田人の気質に合う「だんじり」が登場。今日のように命知らずの荒業の形になるのは、舗装道路の整備が出来てからと見られます。