えぇ…っと驚くモニュメント。
「大阪府立大和川高等学校」の南通用門付近から見える光景です。
これっ「手」・・・何?
Ⅲ=南通用門 ↑ 6=弓道場
通り過ぎて、弓道場付近から見上げると、薬指と小指を折り曲げた、手首より先だけの右手です。
< 大和川高校ビーチバレーコートの南側から。 >
もう少し離れて見てみます。
< 大阪府営苅田北住宅前広場から。左手奥にビーチバレーコートが見える。 >
再び、近づいてみます。
地図では「四恩学園 総合福祉センター」とあります。
実際には、「社会福祉法人 あびこ 四恩学園」、「SION Kinder Garden」の表示もありました。
運よく、スタッフらしい人が出て来られたので、モニュメントは何を表現しているのかを伺うと、首を傾けて「さぁー? 知らないです。」というご返事でした。
これっ「手」…何?
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 9月10日 要旨 ☆★
● 《 中太兵衛施主・秀善、命日(1736) 》
宝永5年(1708年)の『川中新田検地帳」の奥書に、請負人に続いてある4人の検地案内人の筆頭に「太兵衛」の名があります。「西光寺」の永代経附にある、元文3年(1738年)のこの日が命日の「釈秀善」と見られ、その施主の中太兵衛(一時、今米村庄屋も務める)は、その息子と思われます。
中甚兵衛の兄は、通俗であった「太兵衛」ではなく、実際は「太郎兵衛」。そして、甚兵衛の後継が、通俗では父とされた「九兵衛」です。同様に、中家の「太兵衛」は、「太郎兵衛」の後継と見られます。