中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 平成22(2010)年度の第48期生の入学をもって、募集停止となった「大阪府立大和川高等学校」。

 翌年の入学生から、「大阪府教育センター附属高等学校」として、生まれ変わりました。

 「創立50年」を迎えた今年度、3年生が最後の大和川高生となります。

 きょう9月3日は、2学期の始業式です。


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 学校の所在地は変りませんが、この校章や、校旗・制服も新規に。

 「大和川」の名を冠した「府立高校」の名が消える前に、それを惜しんで校地を訪れます。


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 所在地は、「大阪市住吉区苅田4丁目1番」。

 敷地は、東西約235m・南北約145m。道路を挟んだ西隣に「府教育センター」があります。

 東側道路辺りに「東住吉区公園南矢田3丁目」との境界線が引かれています。





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 東住吉区長居公園の南、「長居公園通」からこの辺りの「大和川」への距離は、約1.5km。

 連続した直線道路ではありませんが、「住吉区と東住吉区の境界線」(ほぼ「難波大道」の位置)に沿って南下すると、丁度その半分位の位置に、「大和川高校前」を通る東西道路があり、学校の「北東角」に出ます。


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 この地は、昭和36(1961)年まで、「毎日放送ラジオ送信所」が在った所です。

 当時の高校生急増で、その年3月に高校新設が決まり、送信所が高石市(当時の泉北郡高石町)に移転した跡地を翌・昭和37(1962)年3月に買収して、建設が開始されました。


 その年、「10月11日」に校名が決定、翌・昭和38(1963)年4月1日に開校しました。

 従って、今年は開校50年目ですが、「校名決定日」をもって「創立記念日」としていますので、今年はその前日に「創立50周年記念式典」などが開催されます。






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 正門には、二つの校名が掲げられています。


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 正門の西側すぐの所に、二つの路線バスの停留所があります。

 「府立総合医療センター方面行」の「大阪市バス」と、「地下鉄あびこ駅前行」の「日本城バス」。


 「日本城バス」は、昭和60(1985)年から「日本城タクシー」が運行しているコミュニティバス。

 大和川南の松原市天美(あまみ)地区の住民要望に応えた乗合タクシーが前身とされています。

 停留所標識に、「大和川高校前」の名が残っていて、チョッピリ嬉しくなりました。


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 明日に続きます。





★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 9月3日 要旨 ☆★


● 《 ジェーン台風襲来、高潮被害(1950) 》

 大和川高校創立の10年ほど前、アメリカの占領下にあった昭和25(1950)年のこの日、アメリカ女性の名を冠した「ジェーン台風」が大阪を襲いました。室戸岬~淡路島~神戸付近を通る、大阪にとって最悪のコース。同コースの昭和9(1934)年の「室戸台風」以来の大被害が出ました。雨量は少なかったものの、暴風継続時間が7時間に及び、上陸前後に高潮が起って大阪湾の潮位上昇は4m近くに及びました。戦災復興途上での、防災・防潮対策の不備、建物の脆弱さ、地盤沈下の影響などで、死者・行方不明256人をはじめ、人的・建物・田畑の被害が甚大でした。臨海工業地帯を含め、大阪市内の21%に浸水被害が広がりました。