中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 「センニチコウ千日紅)」と言う、「苺」のような球状の花が咲いています。

 「長居植物園」の「大池」の内、ハス群生の南にある花壇です。


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 アメリカの熱帯地域を原産地とする「センニチコウ」。

 「ヒユ科ゴンブレナ属」というあまり耳馴染みのない植物ですが、種類や花色は沢山あるようです。


 色づいているのは、実は、花の付け根に付く葉である「苞葉(ほうよう)」という部分。

 夏が開花期。苞葉は徐々に少し細長くなるそうです。


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 「ススキ」と共に風にそよぐ姿に、季節の移ろいが感じられたのですが、この日の撮影のあと、「センニチコウ」の花壇にとっては雑草なのか、ススキは引き抜かれました。






★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 8月30日 要旨 ☆★


● 《 第5代・中九兵衛重信、命日(1868) 》

 中甚兵衛から数えて3代目の中九兵衛重正の、9人の子どもの末弟。父の顔を見ることなく、その没年に生まれ、30歳で、亡くなった長兄を継いで第5代として九兵衛を名乗り、今米村庄屋を務めました。大和川付け替え後、ほぼ150年。堺港が完成、大和川河口の新田開発も終えた19世紀半ば。木綿栽培が古田まで広がった河内平野が最も安泰な時期でした。俳号ももち、同じく歌や書画を楽しむ親族の庄屋達との親交はもとより、世に名の通った文人との交わりもありました。慶応4年(1868年)のこの日、明治の名を聞くことなく、53歳で他界しています。