中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 住吉区長居1丁目にある「大阪市交通局」(地図のピンク色部分)の3回目。

 昨日のブログでは、交通局敷地の北西角、すなわち、阿倍野区と住吉区の境にある「あびこ筋」の信号近くから、2つ目の信号のある辺りにまで南下しました。

 この2つの信号は、あびこ筋から西へと通じる道のためのものです。

 今日は、残りの、「JR阪和線」が「あびこ筋」を斜めに跨ぐ付近までを見ることにします。


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 この正面扉の右端隅の下の方に、視線を避けるように小さく「大阪市交通局」と表示されています。

 また、写真左端には、「住吉区長居1丁目1」の住所表示があります。


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 建物の最南端。手前には線路が走り、建物の向う側の「JR阪和線」の手前にも、地下鉄軌道の「保守作業用車両」が何台も並んでいます。

 本来の業務が夜間作業のためでしょうか、敷地内に作業員の姿などはほとんど見えません。


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 「レール」も積まれています。

 阪和線の高架がますます迫り、敷地も残すところあと僅かです。





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 「JR阪和線」の高架にひっつきました。現在の「大阪市交通局」敷地の最南端です。




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 「あびこ筋」の西側歩道から見た、「大阪市交通局」敷地の南半分です。


 さて、初回にあった「ご用の方はあびこ筋を左折し、表門へお回り下さい。」との看板あった「長居自転車保管所」は、この先、元の看板からは400mほどの位置にあります。


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 右側が「長居公園」。茶色い照明塔は「長居庭球場(テニスコート)」、奥の高く白い照明塔」は「KINCYOスタジアム」のものです。

 あまりピントがあってませんが、一部拡大してみましょう。


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 「JR阪和線」が、写真左側の「あびこ筋」を跨ごうとしている地点ですが、高架の右側の空き地の遥か向うに、それを横断している歩道橋が見えます。 長居公園北西隅から、「大阪市交通局」の敷地内で営業していた「長居公園北西駐車場」へと通じるものです。

 従って、この空き地は、「鶴ケ丘駅」から続く、地上を走っていた「阪和線線路跡」、この手前に「開かずの踏切」があった所です。いずれ、緑道「天王寺大和川線」として、生まれ変わる予定です。






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 目的地ではありませんが、「長居自転車保管所」にようやく辿り着き、その横に「長居庭球場」の入口があることを確かめて、今回のシリーズを終わります。




★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 8月26日 要旨 ☆★


●《 西京と河内職、一年足らずで廃止される(770) 》

 「孝謙上皇」が重祚(ちょうそ)した「称徳天皇」。上皇時代に看病してもらって以来、僧「道教」を寵愛しました。天皇は、道教の出身地である河内の弓削(ゆげ)に造営した、大和川の畔の離宮、「由義宮(ゆげのみや)」を大和の平城京に対する「西京(にしのきょう)」と定め、河内国を河内職(かわちのしき)と改める詔を出しています。道教は法王の位を得て権勢をふるい、病床にあった天皇に代り、神護景雲4年(770年)、宇佐八幡宮の神託と称して位に就こうとしましたが、和気清麻呂らに阻まれました。8月4日、天皇が死去。21には道教は左遷され、この日には、一年足らずで、西京・河内職ともに廃止され旧に戻りました。