この2枚の写真は同じ花。左は朝6時半頃、右は午後1時過ぎの撮影です。
お隣の玄関先に植えられている花の名前は、「酔芙蓉(すいふよう)」。
朝方は白い花が、午後には淡い紅色、夕方から夜にかけては紅色に変化する様を、お酒を飲むと顔の色が次第に赤みを帯びることにたとえて、「酔芙蓉」の名が付いたと言われています。
見頃はこれから10月頃にかけて。「繊細な美」「しとやかな恋人」が花ことばです。
ここで、私ごとになりますが、芙蓉の花と言えば、愛読書のひとつ、「出羽盈子(いづは・みちこ)」さんの句集『花芙蓉』が、すぐに頭に浮かびます。
ご子息が、「追手門学院小学部」の同級生。授業参観にもよく来られていたし、私の母とも仲良くしていただきました。
さらに、「京都府立女子専門学校」の家政科のご卒業。奇しくも、私の出た「京都府立大学」の前身の一つですから、大学の先輩でもあります。
句集には、昭和37(1962)年から、85歳で亡くなられる平成12(2000)年までの40年近くに、「豊中句会」などで詠まれた約4千句の中から厳選された600句が収められています。
平成14(2002)年4月に、親友・出羽明彦君が上梓(じょうし)、私にもいただいたものです。
花芙蓉 夕日にあまたある余白
酒好きのはじめは 花に酔ってをり
最近、いただいたお酒。ついつい盃を重ねてるうちに、真っ赤になりました。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 8月21日 要旨 ☆★
● 《 吉原・西光寺開基(1509) 》
第59代・宇多天皇の第8皇子・敦実親王の末孫である佐々木重綱は、室町時代の文明年間(1469~87)の江州兵乱の際に、近江観音寺城から、親族である中家を頼り河内に移り住みました。名を藤井弥惣太と改め、天台宗から浄土真宗に帰依した摂州・中嶋の「西光寺(さいこうじ)」の門徒となり、永正6年(1509年)のこの日、吉原に道場を開きました。のち、1674年に西光寺が「定専坊(じょうせんぼう)」に改号する際に旧名を譲り受けたのが、現在、東大阪市吉原に伝わる「西光寺」です。
中甚兵衛(法名=乗久)の嫡子・九兵衛の書置きに、「吉原村西光寺の儀、先祖位牌寺にて乗久大切に思し召し候」とあり、乗久没後3年には、本堂の修復・鐘撞堂の再建・撞鐘の鋳造などに助力しています。