中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大阪市東住吉区山坂2丁目にある「山阪神社」。

 その南側、境内より一段低い所にある「山坂公園」の西角の、奇妙な育ち方をした木。

 もう少し、上まで見てみましょう。


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 現在、その公園南側の道路を底として、南に向けても緩い上り坂となっています。

 奇妙な形を生んだのが、その地形に関係しているのか、剪定に関わるものかよくわかりませんが、明治まで遡ると、今の地形以上に様子が違っていたみたいです。

 当時の地図を見ると、この西方にある「長池」の水が、この公園東の端まで伸びていて、その堤防沿いに「猿山新田」、ひいては住吉に向かう道があったことが確かめられます。

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 現在では、「長池」は分断され、西に張り出した部分も埋められていますが、上の地図と同様の西方に伸びる道路は今も引き継がれています。



 この木を東側から見ると、奇妙な形がより鮮明で、上記の道路も見通せます。

 冗談ですが、まるで、その道の曲がりを示す道標にもように見えますが・・・


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 この木(上左)ほど奇妙な形ではありませんが、この東側にもう一本、当初大きく傾いて育ったもの(上右)があります。

 ツーショットも楽しめます。


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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 8月16日 要旨 ☆★


● 《 重信・常房が2泊3日の墓参を終え帰宅(1862) 》

 今から丁度150年前の京都東山へのお盆の墓参りの様子、本項3日目です。伏見より淀の夜船に乗って、この日の朝、難波に到着。重信を今米の里に送った常房が、日下の里に帰ったのは夕方でした。常房は、「いと可笑しけれど、是も物を学ぶたしなみにもなりなんと思い、重信君の詠歌を乞い紀行を記す」と、旅日記を締めくくっています。重信28首・常房38首が収められています。