中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 2日続けた田辺不動「法楽寺」の話題もまだ途中ですが、今日の『歳時記・この日何の日』の内容に因んで、一旦、法楽寺を出て、同じ田辺の「神馬塚(しんめづか)」を訪れます。


 法楽寺と同じ「大阪市東住吉区山坂1丁目」。「JR阪和線」沿いの東側。

 阪和線の西側は、「市立昭和中学校」のグランドの北端が「桃ヶ池」に接する辺りです。


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 「神馬」は「しんめ」と読み、神が乗る馬の意で、神社に奉納された馬のことです。

 元は、「じんめ」で、「しんば」・「かみうま」・「かみこま」とも呼ばれます。


 「住吉大社」では、古くから神の使いとして1月の神事などに、「白馬(あおうま)」が使われます。

 平安時代以降の年中行事の一つ、「白馬節会(あおうまのせちえ)」。

 正月7日。この日に白馬を見ると年中の邪気を払うという、中国の故事による朝廷の儀式です。

 左右馬寮から白馬を庭上に引きだして天覧ののち、群臣に宴を賜うもので、元々は「青馬」を引いたものを「白馬」に変更されましたが、「あおうま」という呼び方が残ったとされています。


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 この写真は、最近、「住吉大社」を参拝されたブロガー「はぁとさん」の8月3日のブログから借用しました。   ⇒  http://ameblo.jp/yukari-m-0614/entry-11319241144.html


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 東住吉区HP「東住吉100物語」の「046 神馬塚」に依ると・・・

 「住吉大社」には、「白河上皇(しらかわじょうこう・1053~1129)」や、「源頼朝(みなもとのよりとも・1147~99)」からも、神馬である白馬の寄進がありました。
 また、住吉大社の神馬の飼育は、「神功皇后(じんぐうこうごう)」の軍政に功があった「土師(はじ)氏」の同族で、田辺を開いた「田辺氏」とその子孫が担当して受け継がれました。

 江戸期以降は、財力のある民間により支えられましたが、飼育を担当する「舎人(とねり)」は、男子系の一子相伝のため、その後継者が減少、明治末期には「橘家」のみとなりました。

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 田辺地区では、昭和初期まで、住吉大社の神馬が飼育されていました。

 現在も、「鬣(たてがみ)」や遺骨が埋葬されている場所を「神馬塚跡」として、祀られています。


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 この「神馬塚跡」の日頃の維持管理は、隣接する「㈱うどんや一夜風薬(いちやかぜくすり)本舗」の経営者である「末廣氏」により行なわれています。

 当社は「くすり屋さん」であって、決して「うどん屋さん」ではありません。


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 創業は、明治9(1876)年。当初は、「末廣勝風堂」。

 当時の大阪。至る所に「うどんやさん」があることから、それを「風邪薬の販路」としました。

 「風邪の引き始めは、うどんを食べて身体を温め、薬を飲んで一晩ぐっすり寝れば治る。」・・・

 「うどんやさんで売ってる、(風邪)が一夜で治るお。」という訳です。

 この効き目の評判は、瞬く間に全国に広がったと言います。

 どこかのコマーシャルではありませんが、「目の付けどころが違うでしょ。」





 でも、東京では「うどん」はもう一つ。やはり「そば」。

 そこで考え出されたのが、同じ薬を「そばや風一夜薬」と名前を変えることでした。


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                < ㈱うどんや風一夜薬本舗HPから
 
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 今日は、「法楽寺」の北北西、同じ山坂1丁目にある「神馬塚跡」と、それを管理されている「うどんや風一夜薬本舗」さんを採り上げました。明日は神馬厩舎(しんめきゅうしゃ)跡を訪ねる予定です。





★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 8月8日 要旨 ☆★


● 《 蔀屋北遺跡で鞍出土、馬具三点セット出揃う(2006) 》
 「馬」はもともと日本にいなかった動物。古墳時代、国内最古級の馬の飼育場、朝廷の牧場「河内馬飼(かわちのうまかい)」があった四条畷市。河内湖の畔にあったその地に、朝鮮から船で運ばれて来たと見られます。5~6世紀に相当する古墳時代中後期の遺構や遺物が多数出土している「蔀屋(しとみや)北遺跡」で、平成18(2006)年に木製の鞍が良好な状態で出土、過去に見つかった「鐙(あぶみ)」と「轡(くつわ)」と合わせ馬具三点セットが出揃ったことが、この日に発表されました。当遺跡では既に、馬の全身骨格が見つかっていますが、平成22(2010)年には、5世紀中頃とみられる国内最古の馬の乳歯も出土、当時からの馬の飼育が裏付けられました。