中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 「田辺のお不動さん」として知られる、大阪市東住吉区山阪1丁目の「法楽寺」。

 治承(じしょう)2年(1178年)に、平清盛(たいらのきよもり)の長子「平重盛」が創建したと伝わります。

 重盛は、仏教の信仰が厚く、翌年、病のために出家してまもなく、42歳の若さで亡くなりました。


 元亀(げんき)2年(1571年)、信長軍の侵攻で伽藍は焼失しましたが、正徳元年(1711)から本格的な復興が始まりました。山門・本堂などは、大和国宇陀松山藩の織田氏殿舎が移築されました。


 山門が開くと、目の前に平成になって建立された、「三重塔」があります。

 右回りに3回廻ることによって、功徳が授かるとされています。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記





中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 平成6(1994)年秋から2年をかけて建立。平成8(1996)年11月26日に三笠宮両殿下を迎え落慶法要が営まれ、「法楽寺 平成の三重宝塔(さんじゅうほうとう)」と名付けられました。


 15.4mの塔身の上に、「九輪」(くりん)などからなる8mの「相輪(そうりん)」があり、礎石上の塔の総高は23.4mあります。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 塔の本尊は「金剛界大日如来像」。塔の前、左右に「」の鉢が置かれています。


    中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記





中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 本堂前にも同様に、蓮が鉢がありますが、本堂西側、「リーブスギャラリー小坂奇石記念館」前にも蓮が植えられていています。

 中甚兵衛嫡子・九兵衛の命日の8月5日に参拝した時、花も咲いていました。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記





 この辺りに「旧横門(西門)」があったとされます。

 傍らに、近世~近代、周辺で盛んに栽培されていた「田辺大根」の石碑が建てられています。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 「田辺大根」は、「なにわの伝統野菜」のひとつ。

 江戸後期~明治期の、現・東住吉区の特産の白首の大根です。

 隣の阿倍野区の「天王寺蕪(かぶら)」のように、もとは球形に近いものでしたが、明治以降に改良され筒状になったと言います。

 改良品種は「横門大根」とも呼ばれ、その横門は法楽寺西側の門ともとれることから、この地に「田辺大根由来」を添えた「田辺大根ゆかりの地」の碑が建てられました。平成15(2003)年のことです。


 大和川付け替え以降、盛んになったのが木綿(きわた)栽培。この地における、その隙間栽培が「田辺大根」だったのです。木綿が風除けとなり、暖気が保留されて、良い品質のものが出来ました。


 江戸期、南田辺村に隣接した荒れ地を開拓して生まれた、「松原新田」(現・東住吉区山坂3~5丁目付近)・「猿山新田」(現・阿倍野区西田辺町1・2丁目付近)による耕地拡大が、栽培開始後、大根の一大産地に結び付いたことは言うまでもありません。


 時が経ち、急速な都市化と病虫害の発生で、田辺大根がこの地から姿を消していましたが、昭和62(1987)年に「田辺大根」の品種が見つかり、その種子から、伝統野菜が復活しました。現在では、田辺以外の大阪市、和泉市、河南町などでも栽培されています。




 本堂脇にこんな大きなものが・・・


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記





★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 8月7日 要旨 ☆★


● 《 朝から猛暑、大和川で魚が大量死(1990) 》
 立秋を迎えたとはいえ、今年も猛烈な暑さが続いています。近年では一昨年の夏は記憶に新しいですが、その20年前、花の万博が開かれた平成2(1990)年も記録的な暑さでした。1ミリ以上の雨が8日間なかったこの日の朝、藤井寺市内の大和川のあちこちで、コイやフナなどが腹を上にして死んでいるのが見つかりました。その数、数千匹。連日の猛暑と晴天で、流量が平年の4分の1にまで下がり、溜め池のようになった部分で、酸欠状態になったとみられています。