西暦806年、唐から帰国した「空海(弘法大師)」が伝え広めた「真言宗(しんごんしゅう)」。
その真言宗の泉涌寺派(せんにゅうじは)大本山」の一つが、「法楽寺(ほうらくじ)」。
大阪市東住吉区山坂1丁目にあります。
古代の「難波大道(なにわだいどう)」が通っていたとみられる、「山阪神社」(山坂2丁目)の東の道を北に進むと、大きなクスノキが見えてきます。
「山門(さんもん)」は、この法楽寺の南西角を東に入った所にありますが、古くは真っ直ぐ進んだ所にも「西門(さいもん)」があったとされています。
< 夕陽を浴びる三重塔と南西角のクスノキ >
< 御神木のクスノキ >
山号を「紫金山」、院号を「小松院」とする「法楽寺」の、本尊は「大聖不動明王」。
「田辺(たなべ)不動尊」・「田辺(たなべ)のお不動さん」として親しまれています。
江戸後期、大坂が生んだ真言宗の高僧、「慈雲尊者剃髪修行之寺」とも記されています。
「慈雲(じうん)」は、享保3年(1718年)に大坂中之島の高松藩蔵屋敷で上月安範(こうずき・やすのり)の子として生まれ、父の亡くなった13才の時、「法楽寺」で出家。18才から、京都・奈良の遊学、河内の野中寺(やちゅうじ)での修業を経て、元文4年(1739年)、22才で法楽寺の住職に就きましたが、2年後には同門に譲っています。
また、「近畿36不動第3番」・「おおさか13仏第1番」・「津ノ国88ヵ所第40番」の巡拝者の「札所(ふだしょ・霊場)」でもあります。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 8月6日 要旨 ☆★
● 《 堺市街地浸水、妙国寺宝庫破壊 》
大和川がやってきた「堺」は、江戸後期、度々洪水に見舞われました。元文5年(1740年)のこの日、左岸が溢れて堺市中が浸水。車之町東にある「奉行所」は式台まで、西・中・南屋敷は床上浸水し、北隣の材木町東の「妙国寺」では、宝庫が破壊され、貴重な記録が多数流失したとされています。大正13(1924)年に国の天然記念物に指定された「大蘇鉄」と、それにまつわる逸話が有名です。