中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大阪市東住吉区長居公園の「長居植物園」。

 夏の花木「サルスベリ」。ピンクや白の花が見頃です。


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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 8月5日 要旨 ☆★

● 《 第二代・中九兵衛重豊(乗圓)、命日(1760) 》
 父・中甚兵衛49歳、母30歳の貞享4年(1687)年に生まれた「中九兵衛(なか・くへえ)重豊」。河村瑞賢の第一期工事が終り、甚兵衛らは大和川付け替えを断念しなければならない年でしたが、長じて18才の時、普請御用を仰せつかった父を助けて、工事に参画しました。付け替え後、剃髪した父に代って今米村庄屋に就きますが、江戸からの普請奉行の任のあと大坂町奉行に就いた大久保甚兵衛にはばかって、甚兵衛の名は継がず、以後代々、庄屋制度がなくなるまで九兵衛の名で務めることになります。
 姉婿の河内屋五郎平と共に、「川中新田」「中新田」を開発。「箕輪村新田」の庄屋を務める時期もあります。また、菩提寺「西光寺」の本堂修復・撞鐘堂修復にも尽力。世継ぎが幼少のことから、家の存続を強く願う親族への願いや、父が普請奉行に就いた経緯など、数多くの文書を残しています。

 宝暦10年(1760年)のこの日、74歳で他界しました。法名=乗圓。川中新田の河内屋(のちの川中家)が今米村に分家したのは、この直後のことです。