中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 昨日は、「旧・中野村集落の環濠跡」を、庚申街道の西側、「針中野1丁目」の部分を見ました。

 環濠部分の北側の一部と、西側と南側のほぼ全てに当ります。


 あとは、残りの北側と東側に当る、「針中野2丁目」の部分ですが、特に新しい道路とは斜めになっている東側は道路として残っていないようですので、それに近い信号のある自動車道に出ることにします。

 集落内から見える冒頭写真のようなクスの大木が、その外にあったとは思えませんので、これを北ないしは北東隅と推定して探ってみます。
                            ①          ②        ③
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 上の写真は、「南港通」の北側から見た、「庚申街道」(地図緑色)の入口です。

 「地下鉄谷町線」の「駒川中野駅」(地図の①)から東へ、一つ目の信号がある所(②)ですが、「庚申街道」には車は侵入できません。


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 「南港通」の北側、この信号(②)と次の信号(③)の間に、東へ進む市バスの停留所があります。

 この位置は針中野2丁目ですが、西行きバス停の位置に合わせ「針中野1丁目」となっています。

 その辺りが南海平野線の「中野駅」があった場所と推定されます。


 ③の信号からは、南に直線に通る道路(地図のオレンジ色)に車も進入出来ます。

 信号の傍らに「中井神社」への侵入口を示す看板が建っています。


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 ③の信号を南に渡って、右端の写真の右奥に見える道路を南下して、先ずは「中井神社」のどの辺りに出るのか、神社に直行します。


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 確かに、道路沿い右手(西側)に「中井神社」の木製の鳥居や看板があります。

 が、鳥居の下からすぐに「境内」に入るのではなく、「参道」のようです。


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 参道を進むと緩い上り坂になり境内は更に一段と高くなっています。

 少し立ち寄っただけで、詳しく見ていませんが、恐らく境内東側すぐか、この上り坂付近に東側の環濠が形成されていたとみられます。

 この仮定に基づいて、オレンジの道から、神社や寺院の木々が見える西に入る道路を、注意して見てみたと思います。
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 オレンジ色の道路から西へは、どの道も取り敢えずは突き当り、その先は一段高くなっている所もあります。「環濠の東側」の大体の位置を示すもので、少なくともそれより手前は、環濠の外の田畑であったのでしょう。





 「環濠の北側」と目される2本のクスノキの所まで戻ります。

 オレンジの道路から、やはり少し西に入った所のビルにすがりつくように1本目が立っています。


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 ↑ビル
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 この道路辺りが「庚申街道」より東の「環濠の北側」で、このビルの横の木の辺りが、「環濠の北東隅」ではなかったのでしょうか。

 ここから環濠はの東側は、5叉路近くの南東隅へ、南々西方向に伸びていたと考えられます。


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 この右側の駐車場が、冒頭写真の集落内から見えていたものです。





★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 7月28日 要旨 ☆★


● 《 大阪電気軌道、畝傍線を橿原線に改称(1939) 》
 奈良盆地の中央を南北に、奈良市の大和川西大寺(さいだいじ)駅から、橿原(かしはら)市の橿原神宮駅まで、約24kmを結ぶ「近鉄橿原線」。その間、佐保川・大和川・寺川・飛鳥川など大和川とその支流を渡ります。前身は、前身は、大正12(1923)年に開業した「大阪電気軌道」(大軌)の「畝傍(うねび)線」。昭和14(1939)年のこの日、八木西口・柏原神宮間を新線に切り替える際、「橿原線」に改称しました。