大和川にほど近い大阪市の「東住吉区矢田5丁目」。
5ヵ月近いボーリングの結果、地下1,200mで、湯が噴き出しました。
今から四半世紀前、昭和63(1988)年の今日・6月29日のことです。
地主の「矢田生活協同組合」が掘り当てたもので、「大和川矢田温泉」と名付けられました。
< 昭和63年8月30日付「毎日新聞」記事の一部 >
近くに「湯里」という地名が残ることに着目しての結果で、大阪市内では初めて掘削された天然温泉となりました。
しかも、ナトリウムイオン、塩素イオンなど塩類を豊富に含む良質の食塩泉と判明。
45℃もあって加熱せず浴用に使え、飲用も可能なもので、府内トップクラスの温泉となりました。
< 「下高野橋」北詰付近 > < 「光明寺」 >
大和川に架かる「下高野橋(しもこうやばし)」から北への道路。
写真の手前側に少し進むと、右手(東側)に「浄土真宗本願寺派・光明寺」が目に入りますが、その左手(西側)に、「大和川矢田温泉」を源泉とする銭湯として、「ふれあい温泉矢田」があります。
平成17(2005)年にリニューアルしました。
所在地は「矢田6丁目3番街区」。玄関脇には「足湯」のコーナーも設けられています。
尚、同温泉を源泉として、大和川の少し下流の「行基大橋」の袂に、大阪市が「ラスパOSAKA」を営業していましたが、平成22(2010)年3月末で閉鎖されました。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 6月29日 要旨 ☆★
● 《 東住吉区矢田で温泉発掘、大和川矢田温泉(1988) 》
上述の通りです。尚、「矢田」と「照ケ丘矢田」の北側に「長居公園通」を挟んで「湯里(ゆざと)」の町名があります。名前を江戸期まで遡ると、「湯里町」~「南百済村大字湯谷島(ゆやのしま)」~「湯谷嶋村」(湯屋嶋村)となります。その村名の起りは、往古に温泉が湧き出したからと言われています。元禄期の地誌『摂津郡談』に「旧泉を慕い、井を掘らしめ、湯谷井(ゆやのい)と称す」とある井戸が、湯里4丁目の「覚林寺」に伝わっています。