中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 昨日のブログにも登場した「長居公園東筋」を南下すると、大和川に「行基大橋」があります。

 「矢田新橋」の仮称で架設工事が進められましたが、昭和53(1978)年の今日・6月24日に開通するに当り、行基(668~749)ゆかりの「阿麻美許曽(あまみこそ)神社」がすぐ近くの上流南岸側に鎮座することから、命名されました。

中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


                中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


      中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

       < 「阿麻美許曽神社」境内にある「行基菩薩安住之地」の石碑(右)





 「大阪市東住吉区」の「矢田5丁目・公園南矢田4丁目」と、対岸の同じ「矢田7丁目」を結んでいますが、南北に堤防上に至る車専用の少し長いスロープがあり、横脇に設置されている歩行者・自転車用通路を利用しても、結果的には、大和川を渡ると「松原市」の「天美西3丁目」に入ります。

中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

   < 大和川北側からの堤防へのスロープが始まる付近。左側に旧「ラスパ大阪」がある。


 共に大和川に向けてのスロープの手前にあるバス停。

 北側は、大阪市バスの「矢田行基大橋」。南側は、日本城バスの「天美西3丁目」です。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 バス停標識に、大阪市と松原市で大きな違いがみられます。

 大阪市はバス停名が大きく書かれ、次の停留所が示されています。ここでの次のバス停は「公園南矢田4丁目」。バスは大和川を渡らず、スロープの下から西側へ方向を変えるようです。

 一方の松原市。バス停の名前を探すのは一苦労します。大きく書かれているのは「地下鉄あびこ駅前行」。大和川を渡るということでしょうが、次はどこで停まるのかは示されていません。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記





 閉鎖された「ラスパ大阪」の横を通り、歩行者・自転車専用通路で、「行基大橋」に出て、大和川を渡ります。先日の雨でまだ少し、普段より水量が多いみたいです。

中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 上流に見える青い橋は「下高野(しもこうや)」、堤防際に見える森が「阿麻美許曽神社」です。






 下流が見える西側の歩道を戻ります。「吾彦(あびこ)大橋」がかすかに見えます。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記





 この付近でも、南側堤防際では、「阪神高速大和川線」のトンネル工事が進められています。

 一方の北側堤防沿いの「JR阪和貨物線跡」は、線路こそ撤去されていますが放置に近い状態です。


     中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

        中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記




★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 6月24日 要旨 ☆★


● 《 行基大橋、開通(1978) 》
 行基は、慈善事業などに貢献した奈良時代の高僧。現在の堺市内にあった河内国大鳥郡の渡来系氏族の家に生まれ、集団を形成して、摂津・河内・和泉・山城を中心に、説教だけでなく、農民救済・築堤などの治水・架橋などの社会事業をして回りました。但し、ここでいう「行基大橋」は、行基が架橋したゆかりの橋ではなく、現在の大和川に架かるものです。行基は奈良の大仏造立にも協力し、日本で最初の大僧正(だいそうじょう)に任ぜられています。