中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大阪市東住吉区。「JR阪和線」では「鶴ケ丘」が最寄りの駅となる区域。

 西はその「阪和線」、南は「長居公園」に接し、東に「長居公園東筋」、北に「南港通」が通る一角です。

 町名で言えば「山坂4~5丁目」と「南田辺2~5丁目」。


 現在のように、東住吉区の町名から「町」の字が消えたのは、今から30年程前の「昭和561981」のこと。昭和の初めから使われていた旧町名の時代は、必ずしも道で区画があるわけでもなく、「向こう三軒、両隣」が尊ばれていた時代です。


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 これは、昭和49(1974)年の地図ですが、「山坂町」や「田辺西之町」「田辺本町」などの地名が見え、区画も凸凹しています。





 ところで、冒頭の一角、南港通から南に入った所に、「旧町名の標識」が残っていることを、友人のひろしさんに教えてもらい、区域を探索しました。地図中央を東西に通るピンクの色が「南港通」です。


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      ↑阪和線        ↑長居公園             ↑長居公園東筋


 現在の「南田辺2丁目」に「田辺西之町7丁目」の標識が残っていました。

 冒頭の写真が、その町名文字の下にある、懐かしい仁丹のマークです。


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 もうひとつ、現在の「山坂4丁目」に「山坂町4丁目」の文字が。こちらはより古いものか、木製です。


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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 6月23日 要旨 ☆★


● 《 太閤さんの天守台見つかる(1988) 》

 付け替え前の大和川は、大坂城の北西部で淀川と合流していました。現在の天守閣は昭和6(1931)年復興の3代目。寛文5年(1665年)に落雷で焼失した2代目・徳川天守閣と同じ位置に建っています。大坂城と言えば、豊臣秀吉が建てたとして知られていますが、元和元年(1615年)の大坂夏の陣で焼失した秀吉天守閣の位置は不明でした。その石垣「天守台」の一部が現在地の北東100mで見つかったのは、昭和63(1988)年のことで、この日に発表がありました。