中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 クリスマスイルミネーションではありません。

 大阪市北区茶屋町の複合商業施設「ちゃやまちアプローズ」の昨夜です。

 平成4(1992)年10月竣工の再開発ビル。今秋、20周年を迎えます。


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 施設のひとつに、「梅田芸術劇場」があります。


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 当初は「劇場・飛天」で開場。前身の「梅田コマ・スタジアム」が、阪急梅田駅前の好立地で、36年もの永きにわたって親しまれた名前に比べ、駅から離れ馴染まない名前で集客力が落ちました。

 そこで、旧来の円形舞台はないものの「梅田コマ劇場」に戻す時期もあり、さらに「梅田芸術劇場」に改称されたという経緯があります。

 地下鉄御堂筋線なら、「梅田駅」よりも「中津駅」の方が近く、途中の雑踏もありません。


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 この「梅田芸術劇場」の前の植木の下に、「与謝蕪村句碑」が建っています。


      菜の花や 月は東に 日は西に     蕪村


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 説明板に、「蕪村は当地近くの摂津国東成郡毛馬(けま)村(現在の大阪市都島区毛馬町)に生まれ育った。当時は淀川下流のこの一帯は綿と菜種の産地で、《春日和の日には川堤にのぼってよく遊んだものだ》と彼は後年回想しているが、この一句はその時に焼きついた一面色鮮やかなこのあたりの菜種畑が、明らかに現像となっている。(後略)」(瀬木慎一


…とありますが、この句は与謝蕪村(1716~83)が59歳(1774年)に京都で詠んだ句。東に生駒山があり、古大和川跡の新田から従来の本田までに広まった、一面の綿畑・菜の花畑けのある「河内平野」を詠んだとする方が、よりスケールの大きさを感じられるのでは・・・と考えるのは私だけでしょうか。




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 大阪の街中では珍しい「ちゃやまちアプローズ」の南側の並木道。

 「梅田芸術劇場メインホール」の幕も下り、夜の帳(とばり)が下りると・・・・


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                                         ↑ 蕪村句碑

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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 6月18日 ☆★


● 《 淀川伊加賀堤防決壊の余波で、河内北中部大水害(1885) 》
 明治18(1885)年の「淀川大洪水」。6月17日、現在の枚方市にあった伊加賀村で堤防が決壊したことから、「伊加賀切れ」とも呼ばれています。この日には、東成郡に至った溢水で寝屋川が逆流して、河内でも若江郡6ヵ村、渋川郡12ヵ村が浸水しました。その後も大雨があり、30日には淀川と寝屋川の間に溜まった大水が、寝屋川を越えて河内中部の、若江・河内・渋川郡に侵入、東成郡東部と合わせ一面の泥海と化しました。大和川も膨張し奈良では甚だしい水害を受けましたが、亀の瀬以西は、河口近くの平田新田を除いて大きな被害は出ませんでした。