中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

          < 遠くからも「鶴ヶ丘」の文字がみえる診療所 >


 大阪市の南部にある界隈名の一つ、「鶴ヶ丘(つるがおか)」。

 境界となる「JR阪和線」を挟んだ、「阿倍野区西田辺町」と「東住吉区山坂」の一部です。

 江戸期の寛文3年(1663)年に、「猿山新田」と「松原新田」として人が初めて住みついた地域で、以来、この付近に小字を含めて「鶴ヶ丘」という地名や地形があったという記録はありません。


 昭和13(1938)年、私鉄の「鶴ケ丘停留所」として開設、昭和19(1944)年に国有化と共に、「阪和線・鶴ケ丘駅」に昇格した駅名に由来しています。

 従って、来年は「鶴ヶ丘誕生75年」。今では、すっかり「鶴ヶ丘界隈」として定着しています。

 実際の地名に代って、施設や建物の名称にも、「鶴ヶ丘」の名を織りこんだものも数多くみられます。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 「鶴ヶ丘駅」に続く高架下にあるフィットネスクラブ。阿倍野区です。

 駅より西の阿倍野区で「鶴ヶ丘界隈」と呼ぶのは、常識的には「西田辺町2丁目と1丁目南部」。

 即ち、北側は長池公園南端を西に伸ばした辺りから、南は住吉区長居との境界辺り。

 西側は「あびこ筋」を越えて「庚申街道」までが、一般的な見方と思われます。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


    中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


          中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 高架下にある「駐輪場」や「駐車場」。同じく「7イレブン鶴ヶ丘店」がありますが、表示は見られません。

 以下、上記地域の施設や建物を、順不同に掲げたいと思います。




中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記冒頭写真と同一


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

      < ルクレール 鶴ヶ丘 >         < シャトー つるがおか


   中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

     < ステイツアクス 阿倍野鶴ヶ丘 >       < パレユニオン 鶴ヶ丘


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

       < メゾン 鶴ヶ丘 >                  < エクシード 鶴ヶ丘


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

      < ファッション 鶴ヶ丘 >                < スクロス 鶴ヶ丘



中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

    < 鶴ヶ丘 シンワビルディング >           < ドゥマサコーヌ 鶴ヶ丘

中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

       < エデル 鶴ヶ丘 >                    < グレース 鶴ヶ丘


                       中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

                                < 万代ハイツ 鶴ヶ丘
 

 ここも鶴ヶ丘?・・・と思える場所にもありました。

 「住吉区長居1丁目」。庚申街道西側の「大阪学芸高」の更に西~南の広大な敷地です。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記




★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 6月12日 要旨 ☆★


● 《 再現・遣唐使船、上海万博でお披露目(2010) 》
 7~9世紀、15回にわたって派遣された「遣唐使」。その命をかけての航海に使われた「遣唐使船」を模し、近海での航海が可能な木造船が、平成22(2010)年に建造されました。この年の、平城遷都1300年祭と上海万博に因んだものでした。5月8日に大阪港を出、博多港・長崎港に立ち寄り、貨物で上海へ。「ジャパンデー」のこの日、会場の中央を流れる黄浦港を運航、注目を浴びました。