中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 JR西日本の、大阪・和歌山間を繋ぐ「阪和線」。

 天王寺・杉本町間の大阪市内(大和川以北)7駅の一つ、「鶴ケ丘(つるがおか)駅」。

 他の6駅は、付近に同じ町名がありますが、この駅だけは無関係で、由来も定かではありません。


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 堺の「三国ケ丘駅」同様、横書きは「丘駅」、縦書きは「丘駅」と表示されています。


 昭和13(1938)年5月22日、阪和電気鉄道の「阪和鶴ケ丘停留所」として開業しました。

 昭和15(1940)年12月、南海鉄道に吸収され、南海山手線の「南海鶴ケ丘停留所」に。

 戦時中の昭和19(1944)年5月、国有化と同時に駅に昇格、阪和線の「鶴ケ丘駅」となりました。

 国鉄分割民営化で、JR西日本の駅となったのは、昭和62(1987)年です。


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 以前は、駅南すぐに「開かずの踏切」があり、廃止寸前の時期にも、踏切を通過して駅に止まった電車に乗ろうと、遮断機を手で上げての強行な渡りで、痛ましい事故を引き起こしていました。

 平成16(2004)年10月に上り線の、平成18(2006)年に下り線の駅高架工事が完成・供用が開始され、駅周辺の踏切は無くなりました。



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 高架ホームとなって出来たエレベーターの外壁には、「」がデザインされています。

 この辺り、阪和線は東の東住吉区と西の阿倍野区の境界を形成していました。

 地上駅の時代は駅舎が東側にあり、駅の住所は「東住吉区山坂5丁目」でしたが、高架工事で阪和線そのものが西に移動、新住所は「阿倍野区西田辺町2丁目」となりました。

 それ以前の地名は、大凡、山坂は「松原(新田)」、西田辺町は「猿山(新田)」です。

 付近に「鶴ケ丘」と呼ばれた地名の記録はありません。



 上下ホームの両側に2線あり、特急や快速の通過待ち用の退避線があって、同時に出来た他の高架駅に比べ、解放感があります。

 ホームは6両分ですが、南側に更に3両分ほどの退避線スペースが設けられています。


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中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記退避線



 何かが斜めに横断しているのがあるのでしょうか、ホームに沿う線路の枕木が、線路に直交していない部分がありました。


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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 5月25日 要旨 ☆★


● 《 キトラ古墳の四神壁画、現地保存展示を決定(2010) 》

 藤原宮に関わる皇族の墓と見られる「キトラ古墳」の石室内に描かれている、四神像などの極彩色壁画がカビなどで劣化が進んだことから、国内で初めて平成16(2004)年度から平成22(2010)年度にかけて、石室からはぎ取り、修復作業が行なわれることになりました。国土交通省が平成28(2016)年に整備する「国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区」内の新施設内で保存することが、平成12年のこの日、発表されました。