中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 明日・5月19日、午後1時にスタートする「西田辺まちバル」。

 大阪市阿倍野区の地下鉄御堂筋線「西田辺駅」界隈のイベントです。

 「西田辺町1丁目阪南町5丁目昭和町5丁目」と、「長池町」の南部が中心です。


 今日は、あびこ筋東・南港通北の、「昭和町5丁目」と「長池町」を探索します。


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 5月16日にみた「阪南町5丁目」は、旧村境界の名残からか「南港通」の南にもありましたが、駅北東側①出入口のある「昭和町5丁目」は、「昭和町」の最南端の町として、「南港通」で終わります。

 駅出入口近くの電話BOXには、珍しく?…住所と駅名が大きく表示されています。


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 「南港通」には平野方面への、バス停「地下鉄西田辺」があります。


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 「南港通」を東に進んで北へ入る1本目の道が、この近くでの「昭和町5丁目」と「長池町」の境界。

 その先すぐ、本ブログで何度も話題にしている「山阪神社」に通じる道があります。


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 右手が「シャープ㈱」。道を進んで左手に「大阪市立長池小学校」があります。

 かなりカーブがあり、小学校とその先の運動場などは旧長池が西に張り出していた所。

 シャープ㈱の敷地は、道路南東部の「猿山新田」の土地でした。


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     < カーブの多い道を逆方向から撮影。右手=長池小学校、左手=シャープ㈱ >


 この道際からシャープ(㈱)本社ビルがありますが、通学用の「長池歩道橋が架かっています。


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 東側から見た「長池歩道橋」。この付近の「南港通」はほぼ真西を向いていますので、季節により落日の位置は変りますが、条件の整った日の、歩道橋の上からの夕陽・夕焼けは見事です。

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 「シャープ」の前身の家電メーカー「早川電機」が、この長池池畔に進出してきたのは、大正13(1924)年のことですから、まもなく90年になります。


 「早川徳次」が東京で創業したのは、100年前の大正元(1912)年。

 3年後に「シャープペンシル」を発明。しかし、大正12(1923)年の関東大震災で、工場・自宅・妻子を失い、再起を誓って大阪へ。

 わざわざ辺ぴな地を選んで、「早川金属工業研究所」を開設したのが、この地での始まり。それが、「東成郡田辺町猿山」だったのです。地代の安さが第一でしたが、この不便な地を発展させ、地域の子供たちが成人する頃には、きっと事業に協力してくれるに違いないとの熱い想いがありました。


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         < 創業者・早川徳次像と「Sharp」の旧マーク石


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 「長池と呼ばれる池の近くであった。辺りは、はるかな水田続きで、折から麦の穂が伸び、菜種が黄色の花をつけていた。空からは雲雀(ひばり)の声が落ちていて、長閑(のどか)な風景である。あちこちに、村童(こども)の遊ぶのも見られた」・・・・早川徳次の「猿山」の第一印象です。


 ラジオ(1925)・テレビ(1953)・電子レンジ(1962)は国産第一号、電卓(1964)・20型液晶テレビ(1999)は世界初でした。太陽電池(1963)の量産にも成功しました。



★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 5月18日 要旨 ☆★


● 《 御渡り神事用護岸工事完成式典(2006) 》

 「住吉まつり」の一環、8月1日の御渡り神事(渡御祭)。住吉大社から堺の御旅所である頓宮(堺区宿院町東)まで約7kmの神輿担ぎは、途中に大和川があり、その中州で受け渡しが行なわれます。昭和35(1960)年以降、大和川に入ることは、付け替え300周年の平成16(2004)年に復活するまで、長らく途切れていました。堤防を安全に上り下りするために、毎年足場を造るには多額の費用がかかるため、翌年は中止されましたが、平成18(2006)年、階段状の護岸工事が完成、毎年の挙行が可能になり、この日に記念式典が行なわれました。